草原の民
前回熱海で中世にユーラシア草原を席巻した遊牧民の現在への繋がりにつて書いた。その時参考にした司馬遼太郎著「ロシアについて」は遊牧民の生活の特徴を述べている。彼らは農耕を卑しいと考えた。工芸をせず、作物や、工芸や、工業は職人ごと連れ去って自分たちに奉仕させた。他民族に対する同情心はなく、武を誇り、征服された所は暴風雨の通過の様に破壊され尽くしたと書いている。丁度、鎌倉時代の蒙古襲来の頃だ。
当時、ロシア平原に都市が芽生えたが、モンゴル軍に徹底的に破壊され、ようやく十六世紀に初めてロシア人による国ができた。丁度関ケ原の頃になる。日本では武家支配であったが、農民は争いに関わらず、年貢はあるが自らの耕作地で営農ができた。そして城下町では町民文化の花が咲いた時代だ。一方ロシアのこの時代は皇帝と貴族の支配で、農民は領主の私有でひどい搾取にあった。西欧ではルネッサンスの花が咲いた時代だが、西欧の文化を取り入れたくも、ロシアにはそれを受ける豊な市民層がなかった。ここに両者間の文化の差の原因がある。
梅棹忠夫著「文明の生態史観」はユーラシア大陸の文化圏を俯瞰して、この現象を地勢から説いた。大陸の東のはずれの湿潤地帯に日本が位置し、西のはずれに西欧社会があり、中央に乾燥地帯がある。日本、西欧共にも近代化する前に封建制度があり、民度を高める揺籃期があった。一方、乾燥地帯は悪魔の巣であると梅棹は決めつけている。ここは暴力と破壊の源泉で、古代からくりかえし遊牧民そのほかによるメチャメチャな暴力が現れ、文明が回復できないほど周辺を破壊した。司馬もこの地勢的な不幸を詳しく述べている。
現代に振り替えると、乾燥地帯の生活形態である支配層が強大な政治権力を握り、さらに宗教的な権威まで含んで統治し、文化の担い手となる民衆の民度が低迷している地域が沢山ある。底上げは自らの意思で獲得するしかないが、隙間を埋めるため暴力はご免だ。
司馬遼太郎:ロシアにつて 文藝春秋社
梅棹忠夫:文明の生態史観 中公文庫