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「800字文学館」

『北越雪譜』の世界―サケ(鮭)

大月 和彦

 江戸末期に越後塩沢の人鈴木牧之が著わした『北越雪譜』は、雪国の自然、生活、風俗習慣などを描き、雪国の百科事典といわれている。この書にサケの産地、生態、漁法などの話が載っている。
 新潟県の内陸部に位置する魚沼郡塩沢には信濃川の支流魚野川が流れている。谷川岳に源を発し、八海山、駒ケ岳などの越後山脈からの水を合わせ、魚沼盆地を貫流する水量豊かな川。
 サケが多く捕れたので、サケ=魚の意で魚野川の名がついている。
 越後の国は信濃川、阿賀野川など大河があり、サケが多く捕れ、暮らしを支える恵みだった。
 ここで捕れるサケは長岡藩の特産品として幕府へ献上され、民間でも贈答品として珍重された。魚野川が信濃川と合流する川口町で捕れるサケが上品とされ、初サケ一尾が米7俵の値になったという。
 サケは産卵のため「初秋より北海を出て千曲川と阿加川の両大河に遡る。これはその子を産まんとてなり…」と記す。
 川口町辺の川底は砂と小石が混じる産卵に適している。メスとオスが尾ヒレで掘った穴にメスが卵を産むとオスが白子をかけ、卵を砂で覆って保護する。産卵を終えたサケは痩せ衰えて深淵に沈む。春になると三寸に成長した稚魚が雪解け水に乗って海に入る…と観察している。

 なます、刺し身、すし、焼くなど食べ方は多いが、「頭骨の透き通るところは氷頭ナマスとして雅であり、腹子に塩したるも美味なり」とする。塩引きサケは、わが国(越後)では大晦日の節日に食べない家はないと当時の風習をも伝える。
 上田妻有など上流では、川に杭を並べサケを誘導し、墻(かき)状の先端部に簀を仕掛ける打ち切り漁が行われていた。岸辺の小屋でサケが入るのを昼夜待つ図が載っている。
 ある冬の夜、険しい崖で漁をしていた農夫が転落し溺れ死んだ事故も記している。

 かつては大量にサケが遡上した信濃川は、ダムや護岸がつくられ、水質も汚染したため遡上は激減した。「カムバックサ―モン」運動が行われているが復活への道は遠い。

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