古池や蛙飛びこむ水の音
言わずと知れた、日本人なら誰でも知っている芭蕉の名句である。数多い芭蕉の句の中でも、四十二歳の時のこの句によって蕉風俳諧を確立したといわれるので、格別の位置づけにある。
静寂を破って、一匹の蛙が池に飛び込む水音がした。それによって、一層閑寂さがきわだつ。「一鳥啼きて山さらに静かなり」という禅語があるが、まさにこの句は仏教の悟りにつながる心境を詠んでいると解釈する向きも多い。
しかし子規はこの句を評して「只々其儘の、理想も何も無き句と見る可し」と言っている。つまり、この句は善悪巧拙を超えて、ただ単に目にしたこと耳に入ったことをありのままに句にしたものという解釈である。それこそが蕉風の真髄という。
いずれにしても、この句が「さび」といわれる日本的枯淡の心境を表わした句であることは間違いない。
ご存じの方も多いと思うが、日本文化に精通した何人かの外国人がこの句を英語に翻訳している。その中でもラフカディオ・ハーンの訳がおもしろい。
Old pond
Frogs jumped in
Sound of water
Frog が複数形になっているのである。
この句から、何匹もの蛙が水に飛び込む情景を思い浮かべる日本人がいるだろうか。 「ポチャン」「ポチャン」「ポチャン」と立て続けに飛び込んだのでは、閑寂も何もあったものではない。やはり静寂の中で、一匹が「キャプン」と小さな音を立てるところに趣がある。それが日本人の美意識というものだろう。
日本文化に深い理解を示しそれを欧米へ紹介したラフカディオ・ハーンにして、その機微がわからなかった。それほど日本人の微妙な美的感覚を、欧米人が正確に理解することが難しい。その例としてこの訳文が使われる。
ドナルド・キーンもこの句を英訳している。英語にうとい私でもさすがと思う。
The ancient pond
A frog leaps in
The sound of the water
なお、ハーンの訳については次の解釈もある。
複数の意味ではない。芭蕉は実際の風景の写生ではなく心象風景を詠んだものと理解して、蛙一般つまり「蛙というもの」という意味でsをつけたとの由。