長谷川きよしの麻雀
一九六九年に「別れのサンバ」で二十歳のデビューを飾った全盲のミュージシャン、長谷川きよし。今も精力的にコンサート活動をおこなっている。
六九年といえば私も同じく二十歳、学園紛争のバリケードや全学閉鎖が解除されて授業が再開される一方、挫折した闘士たちが去っていった。体制批判や反戦は気分だけが気怠く残ったまま、何事もなかったように日常が流れていく。そんな時、長髪にサングラス、黒づくめの服、アコースティックギターの華麗な指さばきと透明な歌声が新しい風を吹き込んだ。サンバ、シャンソン、ラテン、ジャズ、ロックなど幅広いジャンルをこなしながら、その底にはいつも哀愁が漂う。
あのころ聞きなれていた歌と長らく遠ざかっていたが、今またYouTubeで聴き始めた。「別れのサンバ」「透明なひとときを」「歩きつづけて」「黒の舟唄」などは流行りすぎたせいか意外と迫ってこない。逆に、そこまで有名ではない歌、例えば「卒業・さよなら女の子」「椅子」「秋だから」「ダンサー」「灰色の瞳」などはひたひたと沁みこんで、思い出したいことも思い出したくないことも蘇ってくる。
ところでその長谷川きよしは大の麻雀好きで知られている。卓を囲む面子たちは捨牌の度に声に出して告げる。彼はそれを全て覚えていて危険牌を読む。自分のはもちろん盲牌。酒を呷りジョークを交わしながら、並みの目明きが捨てた牌にすかさず「ロン!」、そんな小気味よい場面を想像するとなんとも楽しくなってくる。
障害には傍から見えるものと見えないものがある。その意味では私を含めた誰もが大なり小なり障害者だろう。仕事仲間でピカイチの翻訳者は、幼時にソ連でポリオ感染したために四肢が麻痺し呂律も回らないが、PCで訳文を書き、補助装置付きの車を運転して何処へでも行く。ある時「付き添いましょうか」と申し出たら、「自分でできるから」と断られてハッとした。下手な親切は自己満足や思い上がりに通じ、一種の差別にも繋がる。