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「800字文学館」

トンネルと雪国

斉藤 征雄

 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」(川端康成『雪国』)という表現が日本人を惹きつける。それはこの小説の舞台が雪国であることを単に意味するだけでなく、雪国特有の美しく純粋で幻想的な世界を暗示させるからに違いない。
 在来の上越線で冬、関東平野から清水トンネルをくぐって越後に入ると風景が一変する。八海山が雪の塊のように居座り、一面の雪に埋まった小さな町や村がへばりつくように点在している。
 そこが川端康成の描いた雪国である。一方ここは、江戸時代『北越雪譜』で雪国の生活の厳しさを書いた、鈴木牧之が生まれ暮らしたところでもある。

 雪国の風景はうら寂しいが美しい。そして時に神秘的でさえある。特に、雪国の生活に経験がない人にとっては格別だろう。すべてが白一色に塗り込められてしまうから、現実世界は見えなくなり幻想的になるのである。
 そうしたことから、そこで暮らす人々の生活や思いについても、つい現実を離れたある種のロマンチシズムを感じてしまうことがあっても不思議ではない。しかし雪国に暮らす人びとにとって雪と戦う生活は現実である。
 『雪国』が名作であることに間違いはないが、それはトンネルの向こう側に住む人が書いたものであることも事実である。

 私は雪国に生まれ、会社の勤務で雪国に住んだこともある。そういう点でトンネルのこちら側のことを多少知っている。
 雪国に勤務した時には、二十年に一度の大雪にも見舞われた。
 テレビがなかった子供のころ、冬に凧揚げをしたり半ズボンで遊んだりする子供たちを本で見て、同じ日本とは思えなかった。そして初めて、雪国から汽車で何時間かするうちに雪の降らない快晴の空があることを実感したときは、何とも言えない悔しさを感じたことを思い出す。
 私にとってトンネルは雪国から脱出するためのものだった。

 鈴木牧之が江戸の人に何を知ってもらいたかったのか、『北越雪譜』を生涯かけて出版した思いがよく分かる。

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