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「800字文学館」

コース外滑降

中村 晃也

 三十歳になった頃、買ったばかりの「ヘッド」のメタルスキーを試したくて、指導員の資格を持つ友人と栂池にスキー合宿にいった。標高一六八〇メートルの、栂の森ゲレンデのゴンドラ頂上駅の近くにヒュッテがあり、そこに三泊して深い新雪でのスキーテクニックを教わった。

 三日目の良く晴れた午後、練習の仕上げにゴンドラの乗車駅までノンストップで滑ることになった。ゴンドラ直下の上級者用のコースはこの深雪では手に負えないので、通常の林間コースと、その下に続くゲレンデをはしごして、下の駅で落ち合うのだ。
 今でいうハンの木コースから鐘の鳴る丘ゲレンデを滑るコースにあたるが、当時は伐採道路に雪が積もっただけの狭いコースだったので、その右側に広がる牧場を滑ることに決めた。

 膝までの新雪を吹き飛ばしながら広い雪原を滑る気持ちは最高だったが、そのうちにどんどんスピードがついてきて制御が難しくなってきた。
 右手の一メートルほどの高さの灌木を通り過ぎた途端、わが身は青空に投げ出され、牧場の下端を横切る広いバス道路の真ん中に着地し大転倒。

 小さな灌木と思ったのは崖下から生えている四メートルほどの木の先端であった。吹き飛んだサングラスを拾い、「どこから来たんだろう」と訝る路上のスキーヤーを尻目に、そのバス道路に沿ってゴンドラの乗り場にたどり着き、ヒュッテに戻った。

 翌朝ヒュッテの乾燥室で驚いた。右側のスキーの末端が五センチほどめくれあがり、どちらが先端かわからないほどであった。メタルのスキーは頑丈で手で押してもビクともしない。どうしたのだろう。

 崖から落ちた時、スキーの末端が先に着地し、落ちたショックを吸収してくれたお蔭で、脚も折らずにすんだものと判明。
 高価なメタルスキーの修理費用は馬鹿にならなかったが、脚の骨が折れたよりは良かった。

 人生も同じで、無闇にコースを外すと禄なことにはならないことを痛感、以降ずーっと真っ当な生活を続けて現在に至っている。

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