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「800字文学館」

我が家の古文書(一)

中村 晃也

 暖かくなってきたので物置の古い書類を整理した。
 目に付いたもので最も古いのは大正元年の警視廳発行の畜牛健康証であった。明治四十一年生まれの乳牛で「右臨床及ツベルクリン注射検査ヲ遂ケシ處結核病ノ症状ヲ認メス」とある。牛の所有者は当家の小作人で、住所表示は豊多摩郡大久保村東大久保云々番地であった。
 大正五年の土地の賃貸契約証書も出てきた。一坪拾参銭の地代で貸主は曽祖父。住居表示は東京市牛込區東大久保町だ。
 昭和五年加入の帝国生命の生命保険証書、昭和八年の明治生命の保険証書もあった。当時の㈱明治生命の住所は東京市麹町區丸の内だ。保険金は二千円、掛け金は年四十八円四十銭である。

 面白いものでは、昭和十年二月付けの帝國興信所横濵支所発行の拾五円の領収書で、支払い者は母方の祖父で項目は結婚調査料とある。当時祖父は日本郵船の船長で横浜市神奈川区在住。十九歳の長女と大久保の地主の倅との縁談の際に調査を依頼したものと思われる。
 私が生まれたのは昭和十一年十一月だから、結婚したのは昭和十年の秋頃だったのだろう。

 昭和十二年に父親は私の徴兵保険に加入している。保険金は二千円、掛け金は半年払い五十一円四十銭である。富国徴兵保険相互會社のパンフレットには「我が社は昭和八年に陸、海軍に精鋭優秀なる飛行機貳臺を献納し、十年には靖国神社に大石燈籠を奉献。防空思想普及のため、主要都市に鉄製千キロ爆弾模型塔を建設寄贈せり」とある。当家の住所は淀橋區東大久保だ。

 ガリ版摺りのこんな広告もでてきた。
 「皇軍は今や武漢三鎮を攻略完全に占拠しました。『“記憶しましょう昭和十三年十月二十七日午後五時三十分を。』”戦いはこれからです。我々は銃後の努めに一段の心構ひが肝要です。防空防災の演習作業ばかりでなく家庭内の作業に適する様、本會で作製致しました国防色モンペイを是非皆様のご家庭にお薦めいたします。頒布價格貳円貳拾銭。淀橋区社会協会事業部」。
 (続く)

(注)東京は明治二十二年に市制をひき昭和七年に豊多摩郡の淀橋、大久保、戸塚、落合の四ケ町を合わせて淀橋區が出来た由。昭和二十二年に四谷、牛込と合体して新宿区になった

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