唐招提寺御影堂障壁画
水戸の茨城県近代美術館で開かれた東山魁夷画伯の唐招提寺御影堂障壁画展に行ってきた。二十年程前に日本橋の高島屋で同じ展示会があり、二度目の観賞だ。鑑真和上の部屋の襖に一面に描かれている壮大な規模の風景画である。魁夷はお寺からの依頼を受けて完成まで十年の歳月を費やした。まず構想を練り、ゆかりの地を訪れて、数多くのスケッチを描き、下絵を描き、準備万端整えた後に、今ここにある画は魁夷の全身全霊を注ぎこんで描き上げた執念の画だ。和上が日本までの海路を五回も遭難して、六回目にようやく荒波を乗り越え、最後は失明してようやくたどりついた艱難辛苦を背景にして、御影堂では障壁画に囲まれ安らかにお過ごしいただけるように描かれた。
障壁画はご出身の揚州、桂州の水墨画と、日本までの海路を描いた日本画からなる。展示室に入ると、淡い青で描かれた十六面からなる表題「涛声」の画が目に入る。今、海辺にいて足元で波がお押し寄せ、引くさまがそこで起きているようだ。淡い透き通る青がここで手に取れる海の水のように思える。一面の海の青に穏やかに波立つ海の変化を白で細かく波を描いている。穏やかな海だけではない、和上は小さな船ごと荒波にもまれ、海に放り出されもした。荒波の様子は突き出た岩に激しく当たってくだける、動きのある波頭が描かれている。海岸の高いところから、荒れた日の海を見ているようだ。
次の部屋は揚州、桂州の水墨画だ。墨の濃淡だけでご出身地の風光明媚な風景を描いている。水墨画は中国から日本伝わった技法ということで、和上の若かりし頃馴染まれた風景をお国の伝統で描かれた。青を基調とする海とまた異なった画法として優れた障壁画であるが、私は海の方が好きだ。
このように奈良時代に海外から当時の優れた宗教である世界の文化を伝えて頂いたことへの和上への暖かい感謝を昭和の時代に捧げるという心意気はいかにも日本らしいおもてなしだと思った。