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「800字文学館」

小布施の北斎

平尾 富男

  小布施の街の鴻山屋敷跡に、北斎の傑作肉筆画の数々を展示する「北斎館」が建てられている。ここでは彼の有名な「男波(おなみ)」「女波(めなみ)」の「怒涛図」の実物を鑑賞できるのだ。巨大な「祭屋台」の天井絵として描かれた二つの迫力ある波の絵を眼にすると圧倒されて声も出ない。 「富嶽三十六景」他、生涯にわたって波を描き続けた北斎だが、ここで見る「怒涛図」の一対の「波」は、他のどの波とも異なっている。一二〇センチ四方の板に描かれたその大きさだけでなく、波そのものが主役で、他には何も描かれていないからだ。

 波は青と緑に描き分けられ渦巻きながら「卍」を描くような構図になっている。九〇歳で亡くなった北斎の墓碑銘が「画狂老人卍」となっていることと、この波の構図の間には北斎の秘めた意図があった。北斎没年は、開国の使者ペリーが黒船に乗って鎖国の扉をこじ開けるわずか五年前のことだった。時代の大きな波のうねりを予感していた北斎老人の、時の為政者の混乱・無能振りに対する憤りが込められていたに違いない。実際にこの肉筆作品にじっと無言で対峙していると、こんなことを考えてしまう。「怒涛図」はそんな力で見る人に迫ってくる。

 この小布施で、もう一つ北斎肉筆の巨大天井図が見られるというのでタクシーに乗った。「北斎館」から一〇分も行くと、のどかな果樹園の中に古刹「岩松院」がある。かつて北斎は勿論の事、小林一茶も訪れたという。この寺の本堂大広間の天井を飾るのが「八方睨み鳳凰図」。二一畳敷の天井いっぱいに五色の翼を広げた鳳凰が描かれていた。 
 以前は大広間の床に寝転んで眺めたというが、現在は大勢の見学者が椅子に座ってガイドの説明を聞きながら鑑賞するようになっている。この絵は北斎が亡くなる前年(一八四八年)の八九歳の時に描いた肉筆画として、多くの見学者を惹き付けている。北斎の人並みはずれた才能と体力・気力を感じさせる迫力満点の作品である。

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