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「800字文学館」

私の好きな音楽ホール

川口 ひろ子

 私の好きな音楽ホールは1961年オープンの上野の東京文化会館小ホールだ。
 当時ロビーの床は凹凸のある石畳風の造りであった。苦い思い出がある。張り切ってホールに乗り込んだがハイヒールの細い踵が石畳の隙間に挟まり派手に転倒。真に情けない姿を披露した。しかし私は光輝くシャンデリアや真っ赤な絨毯敷ではない、お宮の参道を思わせるこの石畳風のロビーが好きであった。「安っぽい西洋のコピーはしない。日本人の感性で西欧文化と向き合ってやる!」という設計者の心意気が、この床の奥から聞こえてくるような気がしたのだ。
 現在、石畳の床は明るい色の平らなものに変わってしまった。多分私のような粗忽者が他にも居て、使い勝手が悪かったのであろう。せめて色合いだけでも、石畳の感じを残してほしかったと思う。

 演奏会場に入ると649の座席は舞台を囲んで扇型に広がっている。左右の壁が素晴らしい。コンクリートの打ちっぱなしで要所々に石を削り残した様な3角の突起がある。これは響きを分散させる為の実用を兼ねた装飾だという。この壁自体が一つの彫刻作品にも見えるし、前衛絵画にも思えて来る。

 モーツァルトの定期演奏会の為に毎月通って4半世紀になる。クラシック音楽といえどもその表現方法は時代と共に大きく変ってきている。特に近頃10年の変化は著しい。
ここに来て何より嬉しいのは、海外、国内の若手音楽家たちの活きの良い舞台に出会えることだ。青年達は有り余るエネルギーを演奏という行為に発散させるのが嬉しくてたまらないという感じで、「未来を切り開いて行くのは自分達だ」と主張している。しかしクラシックの様式はしっかり守られていて、細部にまで緻密な計算がなされた上でのパフォーマンスだ。

 時代の先端を走る演奏家と応援する聴衆が一体になって新しい価値を創造して行く。
 音楽を聴くことは人生最高の愉しみと決めている私にとって理想の場所、それはここ東京文化会館小ホールだ。

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