ドウリットルと空母「ホーネット」
75年前、昭和17年4月18日、ドウリットル爆撃隊16機が日本を襲った。緒戦勝利に湧く政府、軍部、国民を驚かせ、多数の民間人を含む87名の死者が出た。
この爆撃機を目撃した小国民3人が長じて我が会員になり、その体験を綴っている。
隊長はジミー・ドウリットル中佐、米陸軍航空軍きっての名パイロットで、航空軍司令官の指名であった。軍籍のままMIT航空工学科博士課程卒、二つの大戦の間に米英伊が国の威信をかけて争った水上機による速度競争、シュナイダー・トロフィー・レースではパイロットとして優勝もしている。
ドウリットル機は爆撃後大陸に到達、乗員は機体放棄して落下傘降下、中佐は二階級特進で将官になり、アフリカ、欧州に転戦して終戦。1993年没。
爆撃隊を発進させた空母、CV-8「ホーネット」はヨークタウン級3番艦。当日は風速25mの大荒れ、白波を蹴りながら進む空母から発進するB-25の映像が残っている。「ホーネット」はこれに続くミッドウェイ海戦では雷撃機隊が迎撃の零戦によって全滅させられたが、戦い終盤、爆撃機隊が巡洋艦「三隅」と「最上」を大破させた。
そして南太平洋海戦。緒戦で空母「翔鶴」大破の戦果をあげたものの、日本機の猛攻に遭い、火災で消火不能となって放棄、日本側の手に渡った後沈没した。この時米軍が撮影した「ホーネット」の対空戦闘、被弾、消火に走る水兵などを撮ったフィルムは沈没時に日本側の手に落ち、ニュース映画として巷で上映され、近代戦の厳しさを国民に知らしめた。この時一緒に上映されたのは雨の神宮外苑での学徒出陣壮行会だった。
ホーネットの名は、エセックス級7番艦CV-12「ホーネット」に引き継がれ、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、硫黄島戦に参加、沖縄戦では戦艦「大和」に向け攻撃隊を発進させた。
時が経って、月面着陸のアポロ11号の回収任務ではニクソンが乗艦、大統領旗を掲げた。現在は国家歴史登録建造財となっている。