「書く」と「読む」
文章を書く勉強会に入ってもう十年以上になる。文章にどう取り組むべきかを教える本も数多く読んだ。いわゆる「文章読本」である。その中で三島由紀夫の『文章読本』は特異な存在である。
他の本が文章の「書き方」を主題としているのに対して、三島は文章の「読み方」を目的としており、本文の中で次のように明記している。
私はここでこの「文章読本」の目的を、読む側からの「文章読本」という点だけに限定した方が、目的も明確になり、素人文学に対する迷いを覚ますことにもなると思うのです。
小説などの文学作品を書くのはプロの仕事で、素人は先ずは読むことから始めよというのだ。じっくりと読み込んで、どのような文章が人に感銘を与えるのかを会得しなければ、よい文章など書けないと主張する。
フランスの文芸評論家の言葉を引用しつつ、小説の読者には二種類あるという。片や、いわゆる一般大衆の読者。手当たり次第に読んで面白ければよい。それで単純に満足する人たち。もう一方は、前者とは一線を画する「精読者」と呼ばれる人たち。文学の本質を極めようと取り組む人たちで、高い教養と知識の裏付けがあってはじめて可能となるという。
さて、どのような読み方をすれば、「精読者」となり得るのだろうか。三島の表現は必ずしも平易ではなく、一読しただけでは簡単に答えが得られそうにないが、その中で分かりやすい例として挙げられているのが料理との比較である。良い料理は単に栄養さえあればいいというものではなく、見た目も美しくなければならない。同様に文学作品も構成要素である文章が、目や耳で美しく感じられなければならないと説いている。
最近、「書く」勉強会とは別に、文章を「読む」勉強会に入った。日本の著名な作家の作品をみんなで読んで勉強しようという会である。
どうしたら「精読者」になれるのか考えながら続けたいと思っている。そのためにも、三島の『文章読本』を改めて読み直してみよう。
・『文章読本』 三島由紀夫著 昭和三十四年著 (中公文庫)
・アルベール・チボーデ 普通読者(lecteurs) 精読者(liseurs)