和して同ぜず
「和を以て貴しとなす」。意識しているか否かに係わらず、多くの日本人が心の底に抱いている規範かも知れない。
お互いに相手を理解するように努め、協力し合うことが大切であり、決して周りの人たちに安易に同調せよといっているのではない。しかし、ややもすると日本人は、大勢(たいせい)に流されてしまう嫌いがある。
終戦直後、戦争の責任が問題になったとき、多くの国民は、軍部や政府に騙されたのであり、自分には責任がないといっていた。軍人に聞けば、いや自分は上からの命令に忠実に従い国家を守るために懸命に戦っただけで戦争の責任はないという。官僚を糾しても多分同じ答えが返って来たであろう。そうなると、一握りのわずかな人間が一億人もの日本人を騙したことになる。そんなことが可能だったのだろうか。
こんな主旨のことを、伊丹万作は『戦争責任の問題』の中で述べている。言い換えれば、騙された側にも責任があったとの主張である。
最近発表された「報道の自由度」世界ランキングで、日本は180か国中、72位だという。先進国では最下位、香港と同じ水準である。同じ政権が長く続くと、マスコミがその意向を忖度して、敢えて反することを報道しなくなってくる。新聞、テレビだけでなく、個人の意見もツイッターなどで容易に拡散される時代になったので、知らず知らずのうちに、これらの情報に惑わされて、誤った判断をする危険性が大きくなっている。
政府は、憲法を改正し特定の法律を無理やり通そうとしている。よほど国民が確固たる考えを持って見守っていないと、いつのまにか意に反する方向に行ってしまう恐れがある。
自分の頭で考え何が正しいのかを主体的に判断すること、信念を曲げてまで安易に同調しないことが大切だ。
気が付いたら、危険を冒さないと自由にものが言えない状況になっていた。そんな事態にだけには、ならない様にしたい。
「和して同ぜず」。心にしっかりと留めておきたい言葉である。
『戦争責任の問題』 伊丹万作「映画春秋」創刊号 昭和二十一年八月