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「800字文学館」

行く春への思い

藤原 道夫

行く春を近江の人と惜しみけり

芭蕉

 この句を知ったのは随分前の事、とても気に入っていた。雪国に育った者にとって、春はとりわけ感慨深い季節だ。数か月にも渉る雪に埋もれた生活から解放されると漸く遅い春、次々と花が咲きそして散り、たちまち若葉の緑が濃くなってゆく。芭蕉の句からそんな光景が目に浮かぶ。加えて去り行く春を惜しむ心情にも共感する。よく分からなかったのは「近江の人」の事。
 『近江散歩』(司馬遼太郎)の解説書を読んで、不明なところが分かった。芭蕉は『奥の細道』の旅を終えた後、疲れを癒すために近江に滞在した。ここで土地の有力者から住処「幻住庵」を提供され、風流を解する人々と交流した。近江の冬は厳しいようだ。解説書に次の一文がある。「春になって琵琶湖から水蒸気が立ち上り、山々をやわらかくする近江の春が、芭蕉は好きだった。」
 交流した人の中に膳所藩の重鎮菅沼曲水がいた。彼は藩を救うために人を殺めた上で切腹。遺書に「私怨による」と記されていたため、藩は幕府の追及を免れた。「幻住庵」の持ち主がこの勇士だった。芭蕉はその人を始めとして近江の人々の人情にほだされたことだろう。

 芭蕉のこの句についての感想を詩文に詳しいO夫人に話したところ、「私は蕪村が好きなのです」と言いながら、次の句を教えてくれた。

行く春や重たき琵琶の抱きごころ

蕪村

 「どうです、いいでしょう、他にもいい句がありますよ」とおっしゃる。後日「ところで行く春と琵琶とがどのように関連しているのですか。春に琵琶を取り出して弾くような習慣でもあったのでしょうか」と問うたところ、「それはどうでもよろしい、句に詠まれているままに感じればよいのです」との返事。それも尤もだが、気になることは尾を引いてしっくりしない。

 その時々の情景・心情を詠む蕪村の句もよいと思う。一方で、芭蕉の句には詠んだ時の感慨が深く込められているように感じる。私はそこに惹かれる。

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