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「800字文学館」

枝垂れ桜の咲く石庭

藤原 道夫

 石庭(龍安寺方丈前庭)を初めて訪ねたのは学生時代。有名な庭園を一度は見ておきたい、そんな気持ちで行ったに違いない、印象は殆ど残っていない。50年余経って再訪する気になったのは、ちょっとしたきっかけから。
 ある時、東京国立博物館に「栄西と建仁寺」展を見に行った。目玉は「風神雷神図」。最初の部屋で映像を立ち見していると、石庭の風景が写し出された。栄西が龍安寺にも関与したためだろう。映像を見ながら驚いた、石庭の塀の外から満開の艶やかな枝垂れ桜が枝を伸ばしているではないか。一般的に、禅寺では派手な色の花を付ける木は避けると聞いていた。椿、サツキ、夏椿の花々、それに千両・万両や南天の実などがそれぞれの季節に目に留まる程度。例外があってもよいだろう、それにしてもあの枝垂れ桜はあまりにも華々しい。その現場を見てみたくなった。
 四月上旬、嵐山近辺で桜の風景を楽しんだ後、龍安寺に寄った。観光客が沢山いる方丈に上がるとすぐに、あの庭が見えて来た。方丈正面の塀の上に、今にも咲き出しそうな蕾を付けた枝垂れ桜が枝を広げている。これは一際派手な花を咲かせるヤエベニシダレに違いない。高い木ではないので、近年植えられたものだろう。方丈に座して庭を眺めながら、枝垂れ桜が満開になった時の様子を思い浮かべる。他の事を考えようとしても、特に浮かんでくる事はない。
 石庭は土塀に囲まれた狭い空間に白砂を敷き、大小の石を配置して庭とした一例。時が止まっているような空間を前にして、瞑想に耽るのも一興だろう。その空間に春の一時にしろ、艶やかな花を見せるようにしたのはどのような意図なのだろうか、考え込んだ。ひょっとすると固定化された石庭のイメージへの挑戦なのかも知れない。花が終われば緑樹に、秋に紅葉し、そして冬には枯れ木のようになる。自然の移ろう姿を背景にするのは、方丈前庭にむしろ相応しい、そんな解釈もしてみた。しかし本当の事は分からないまま。

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