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「800字文学館」

山菜採り(一) わらび

藤原 道夫

 西会津の山村で生活していた少年時代のこと。山菜は季節の野菜であり、それらを採りに山に入るのは生活の一部であるとともに、娯楽でもあった。更には、萌え出る山菜の姿に自然の中に秘められたエネルギーを実感し、さまざまな山菜を育む山の恵みに感謝する機会ともなった。山菜の中から先ずわらびを取り上げる。
 わらびは陽の当たる水捌けのよい場所に生える。採れる期間が長く、保存法も発達していて、山菜として食べる機会が最も多かった。初物としては有難く頂いたが、特に美味しいとも思わなかった。それは兎も角、食用に適した茎を探して採るのは実に楽しい作業だった。
 その思いは後年になっても持続し、上京してから何度か故郷の山に近い所にわらび狩りに出かけた。採集には経験に培われた勘がものをいう。自分は誰よりも多く採ることができると内心自負していた。
 この勘が予期せぬ処で発揮された。
1971年夏から留学のためにカナダ・トロント市に滞在した。10月初旬に知人に誘われて北の方の州立公園に紅葉を見に出掛けた折、枯れかかったわらびの葉を見た。これを覚えていて、翌年6月上旬にその場所の近くに家族で出かけた。見当をつけながら陽当たりのよい丘に出ると、わらびが辺り一面に生えているではないか。湖の見える雄大な風景を眺めながらのわらび狩りは、カナダならではの体験だった。5歳の娘もわらび狩りを大いに楽しんでいる様子だった。
 後日わらびを食べる習慣があるのは、日本人の他には韓国人のみであることを知った。

 ところで、わらびといえば次の歌が思い浮かぶ。

岩ばしる垂水の上の早蕨の萌え出づる春になりにけるかも (万葉集巻八)  
子貴皇子

 詠われている情景については論評するまでもない。ただ疑問がある。先ずわらびは水辺には生えない。それに早蕨は目立つ植物ではない。ここに詠まれている早蕨には、次に取り上げる「こごみ」を当てる方が相応しいように思う。植物学の専門家はどう考えるだろうか。

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