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「800字文学館」

馬鹿な私

内藤 真理子

 アカデミー賞を受賞した映画「セールスマン」を観た。映画の筋は、
〈引っ越したばかりのアパートに訪ねてきた男に、妻がレイプされる。深く傷ついて警察にも届けたくない妻。収まらない夫。ギクシャクした夫婦の感情。夫は独自に犯人を探し当てる。そしてその犯人は……〉
 映画は、説明的ではなくセリフやカメラアングルで状況を伝えていて、私には少々高尚過ぎたが、筋は良くわかり面白かった。

 たまたま夫が広げていた新聞の片隅に、主演女優、タラネ・アリドゥスティの紹介記事が出ていたので私は、
「昨日観て来た映画よ、これ」と、記事を指さした。
 ついでに主演男優は、シャハブ・ホセイニ。
「イランの映画でね、劇中劇みたいなものなのよ」と話した。
「題名は『セールスマン』なのに主人公はセールスマンではなくて、主人公夫婦は劇団の役者で、二人で『セールスマンの死』っていう劇の夫婦役をしているのよ」
 この説明で夫はわかるだろうか、と不安になりながらも、先を続ける。
「劇に出てくる娼婦が裸で部屋を飛び出すシーンがあるのだけど、真っ赤なコートを着ているのよ。
 観客が『裸の場面なのにおかしい』って言うと、『私は役の上で娼婦をやっているだけで、真面目な人間なのよ』と怒る場面があったから、本番になったら脱ぐのだろうと思ったら、それが本番で、観客の役をしていた人が、赤いコートを着たままだけど、芝居の中では裸の娼婦なのだと説明していたのね」。
 今まで、聞いているのか、いないのか、相槌すらも打たなかった夫が、不機嫌な声で、
「イランの映画なんだろう、法律で肌を見せてはいけないことになっているのだから当たり前だろう」
「あ、そうなの、そう言えば、レイプの場面も、周りの人の会話で表現していたから、監督のやり方なのかと思った」と私。
「お前はその国の背景も解らずに映画を観て来たのか!」
 ムカッ!またやってしまった。この人は、妻が出歩くのも、外であったことを話すのも毛嫌いしていたのだ。

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