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「800字文学館」

嬲るより嫐られたい

浜田 道雄

 漢字は古代中国で発明されたものだが、東アジアの諸国でもそれぞれの言語を表す手段として、今日でも使われている。
 日本では漢字はひらがな、カタカナの基礎になっただけでなく、中国での音や意味から離れて独自の音や意味を付加して使っているものが多くある。

 歌舞伎十八番に「ウワナリ」という狂言がある。脚本が残っていないので詳細はわからないが、男一人に女二人で嫉妬の所作を演じたものだったという。どうやら「後妻(ウワナリ)打ち」という古来の風習を踏まえたものだったらしい。
 これは男が妻を離縁してすぐに再婚したとき、前妻(「コナリ」という)が予告をした上で親族の女たちを引き連れて後妻の家を襲い、乱暴して鬱憤をはらすもので、近世まであった風習だ。
 この「ウワナリ」を漢字では「嫐」と書く。パソコンで打っても出てくる立派な文字だが、「嬲」から派生した異体字だという。「ドウ」と発音するが、中国には「後妻」という意味はない。この用法はまったくの日本だけのものである。
 だが、字形からは一人の男を挟んで本妻と妾、前妻と後妻が嫉妬に狂って争う姿が読み取れて面白い。

 一方、「嬲」は漢音は「ジョウ」で、今日では広東語で「怒る」という意味で使われているだけだという。六朝時代に作られ、仏典にも使用例があるというから、そんな由緒の怪しい文字ではない。
 しかし、日本では「嫐」と同様その字形を男が二人して女を挟み付けていじめている姿とみて、「なぶる、おもしろがっていじめる」などと訓読している。そういえば、「嫐」にも「なぶる、もてあそぶ」という意味がある。
 日本人は輸入した漢字をそのまま使うだけでなく、文字を視覚的に見て日本人独自の感性を加えた訓読もしてきたことがこのことから読み取れる。

 ところで本文のタイトルだが、これは「嬲」と「嫐」についての話を聞いた大学生が書いたという文章で、「なぶるよりなぶられたい」と読む。筆者はもちろん男である。

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