あんたがたどこさ
あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ せんばさ
せんば山には 狸がおってさ それを猟師が 鉄砲で打ってさ
煮てさ 焼いてさ 食ってさ それを木の葉で ちょいと隠せ
幼いころ最も親しんだ童謡は、手毬唄『あんたがたどこさ』だ。最後の「ちょいと隠せ」で、両足の間から後ろにくぐらせた毬をスカートのお尻に包み込めれば大成功。
肥後(熊本)を舞台として江戸末期に作られたわらべ歌とされてきたが、最近になってこの舞台に異議が唱えられだした。何故なら、①熊本には船場や洗馬はあっても「せんば山」はない。②熊本弁ではなく関東弁が使われている。
そこで登場したのが埼玉県川越。戊辰戦争で薩長軍が川越の仙波山に駐屯中、付近の子供たちが兵士に「あんたがたはどこから来たのさ」と尋ね、兵士が「肥後から」と答えた。また、鉄砲で打たれる狸とは、川越の「仙波東照宮」に祀られる古狸こと家康、つまり討幕を意味するというのだ。すべて辻褄があうとは思わないが、もはや童謡ではなく、風刺たっぷりに世情を語る歌に様変わりするところが面白い。
話は変わるが、我が家には一枚の古い写真が残されている。昭和二十八年頃、「あんたがたどこさ」を歌いながら毬をついて一人遊ぶ三、四才の私を、通りがかりの新聞記者がカメラに収めた。「街角の風景」とでも題するコラムに載せたのだろう。ところがアルバムに残っているのは、紙面に掲載されたほうの写真ではなく、親に見せるようにと渡されたメモ書きを持ってふくれっ面をしている私なのだ。見知らぬ人に話しかけられて文字通りほっぺをパンパンに膨らませて怒っている。もちろんモノクロ写真だが、私の頭のなかでは今もフルカラーだ。メモを握る手と反対の腕に抱えているのは、買ってもらったばかりの赤いゴムまり、母の手編みのセーターはピンクで、胸にはチョコレート色の大きな犬の姿が編み込まれている。母は私のフグ顔を気に入ったとみえ、この写真だけが大切に保管されていた。