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「800字文学館」

我が家の古文書(四)

中村 晃也

 昭和二十年十一月に和紙に墨書の海軍大臣米内光政名で「海軍少佐中村三郎殿ノ名誉ノ戦死ヲ悼ミ謹ミテ弔意ヲ表ス」旨の通知が祖父の許に届く。
 中村三郎は小生の叔父である。

 同年十二月にガリ版印刷の第二復員廰人事局長川井巌名で「海軍大尉中村三郎殿昭和二十年五月二十五日南西諸島方面に於いて御奮戦中名誉の戦死を遂げられたる旨…」の連絡が入る。
 翌年五月浮田信家名で「故海軍少佐中村三郎殿に対する諸給与金お送り申し上げます。」なるガリ版の書簡。
 同年十月再び川井局長名で「中村三郎大尉は神風特別攻撃隊偵察隊員として(中略)壮烈なる戦死を遂げられたことが上聞に達し云々」。
 二日後復員庁第二復員局人事部長川井巌名で「故海軍大尉中村三郎殿の勲功抜群なることが上聞に達しまして畏くもこの度特に二階級を進められ海軍中佐に任ぜられる御沙汰を拝しましたから茲に改めてご通知申し上げます。」
 同年十月和紙に墨書で、復員庁総裁幣原喜重郎名「海軍中佐中村三郎殿ノ名誉ノ戦死ヲ悼ミ謹ミテ弔意ヲ表ス」の書簡。

 昭和三十年十月靖国神社宮司筑波藤麻名で「海軍中佐中村三郎命 右昭和二十年十一月十九日招魂 本殿相殿ニ奉還 昭和二十九年十月十七日本殿正床ニ鎮斉相成合祀ノ儀相済候條此段及御通知候也」の通知。

 ここに海軍省人事局第一課の第二種物品持出票とともに中村三郎遺品と書かれた封筒がある。持出票の裏に鉛筆で「機密天航空部隊特命令作特一号ニ依リ昭和二十年五月二十五日伊江島飛行場沖縄北中飛行場及慶良間列島ニ於ケル特攻隊戦果偵察ノ任ヲ帯ビ彩雲(一七一―〇五号)ニ搭乗。〇六四五鹿屋基地発進ノ侭連絡ナク未帰還。壮烈ナル戦死ヲ遂ゲタルモノト認ム」の記載。

 遺品の封筒の中には、鉛筆書きで「御元気の事と思ひます。当方至って元気です。外出なしの大奮闘中。大分財産が多くなったので邪魔ですから送ります。いい様に御使い下さる様お願いします。二五日〇五〇〇三郎拝 母上様」のメモ用紙だけがあった。戦死当日の絶筆である。

 慈海院武鷲烈功居士 生前の叔父を知っているのは今となっては小生と二人の妹だけである。

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