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「800字文学館」

桂離宮

稲宮 健一

 京都で友人と会う約束をした。ふと気が付き、桂離宮の参観を宮内庁のホームページで調べた。珍しいことに、その日の午後に空きがあった。

 入場十五分前に着き、少し待ち、待合室で一チーム五十人程が、まず全体説明をビデオで受けた。そして、説明員に引率されて一般参観の門から離宮に入って、皇族だけが通れる正門の内側に案内された。閉じた正門を背にして、参観者の入口の御幸門から庭園に入る。園内の小道は庭師により、敷石の一つ一つの材質や、石の並べ方に細かい細工がされ、ここを踏みしめ、まずは小休止できる茅葺寄棟造りの外腰掛に導かれた。目の前は視線を遮る植栽があり、庭は未だ見えない。これから美しいお庭にお連れしますよと、期待感を持ってもらう演出だ。そこを出ると、池があり、自然を模した高い木、水辺には四季の彩が楽しめる紅葉、背の低い枝ぶりは盆栽のように刈られた松など植栽が広がり、向こう側には日本建築の粋と言われている古書院があり、この雰囲気は実に和の世界だと思う。建物は華奢で、外見は普通の和風の家屋であるが、柱一本、天井板一枚に施主と棟梁の細かい心遣いが込められている。

 桂離宮は当時の皇族方が騒々しさから離れて、茶会などに使われた。一方、島国を離れた大陸国家では、こんな優雅過ぎる構造の屋敷を別荘に使わない。石造りか、飾りは宝石や、金銀の輝きをちりばめた装飾に囲まれないと落ち着ないのだろ。

 桂離宮は元和元年(一六一五)に八条宮智仁親王が着工した。世間では、関ケ原が終わり、大阪の陣の最中だ。しかし、武家社会は皇室に手を出さなかった。古くは頼朝の時代から、皇室と武家の共存が保たれた。皇室は五穀豊穣、列島を襲う自然災害や、はやり病を鎮める神官のお役目、国を治めるのは武家、聖と俗の共存が長い時間をかけ自然体で成り立ってきた。優しい自然を友とし、災害とはやり病を敵として戦って、内には和をもたらした日本の特徴かもしてない。

*後陽成天皇(第一〇七代、一五七一~一六一七)の弟君

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