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「800字文学館」

金魚

首藤 静夫

 金魚は夏の季語である。今年のような猛暑に、きれいな鉢の中で水草を揺らしながら泳ぐ姿はいかにも涼やかだ。
 わが家の水槽にも数匹いるが、夏場は青ごけの除去や水替えなど一苦労だ。

 金魚の世話をしながら、ふと、これにまつわる遠い昔のことが思い出されてきた。
 小学校に上がる時分のことだ。同じ村に住む、何歳か年上の男の子が不慮の死を遂げた。うちの親や大人たちが屯して哀れがっていたのを微かに覚えている。
 小学校の4、5年生だったであろうその子は、汽車で、4つ離れた町まで金魚を買いに行った。4つ先は地方ではかなりの距離だ、子供だけでは普通はやらない。親が一緒だったのか、事情があって一人で行ったのか――。
 ともかく、金魚を買ってその帰り、彼は一人で汽車に乗った。そして列車を間違えたのだ。村の駅は鈍行しか停まらないのに準急に乗ってしまった。降りる駅に近づいたが列車は停まらない。気が動転したのであろう、彼は走っている汽車からホームに向かって飛び降りた。そしてタブレット用のポール(単線につきもので通行票を受けるためのポール。上部がらせん状)に運悪く激突した。即死だったという。
 準急は次の駅には停まる、そこで駅員に知らせればと思うが経験のない子供にとっては無理な話だ。
 僕はこの子のことは何も知らない、顔も知らない。小さな静かな村で起きた子供の事故死。しばらくは村中がこの話で持ちきりだったと思うが、直接の関係がない僕は自然と忘れていった。ただ、事故現場に散乱したという金魚の色だけが妙に鮮やかな印象となって脳裏に刻まれたようだ。
 ふとしたことで甦る忘れ去られた記憶――どういう訳か悲しいもの、ほろ苦いものが多い。
 都会では、ランドセルに定期券をひもで結わえた小さな子が車中で本を広げたり、仲良しとおしゃべりをしている。そして自宅のある駅に着くと、きちんと降りていく。それを見ながらはるか昔の「金魚の子」の影を偲んでいる。

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