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「800字文学館」

円についての考察

志村 良知

 丸く収める、良い言葉である。円には角が無くどこも尖っていない。円はまた周囲の長さが同じなら最大の広さを囲いこめる。円はまた中心から周りまでの距離が完全に同じで平等である。

 幼児は地面に円を描くとき、棒を引きずって後ずさりで出発点めざす。縄文の博物館で聞くと、縄文人も同じことをしていたらしい。縄文人は円には中心があるということを知らなかった。住居跡が基本的に丸いのは設計意図があってのことではなく、物や柱を使いやすいように配置していった結果なのだという。土器は粘土の紐を積み重ねて形を作った。円の中心の性質の理解なしには轆轤は作れない。直径が次第に変化する土器が多いが、粘土紐は常に両手でつかめる長さで、土器の直径に合わせた長さの粘土紐を作って重ねるということはしなかった。つまり「土器の指し渡しが変わると周りの長さも変わる。ならば……」という発想はなかった。

 古代エジプト人は、地面に円を描く時縄を付けた棒、即ちコンパスを使った。また円周の直径に対する割合、すなわち円周率も知っていてその小数点以下の大きさが8分の1より大きく7分の1より小さいと理解していた。ここまでくれば、車輪も土器成型用の轆轤も滑らかに回ったであろう。  日本に轆轤が現れたのは弥生時代、車輪は5世紀頃だろうと考えられている。残念ながら共に大陸伝来で、純国産技術ではないらしい。轆轤は木工旋盤を含んで当時の生活を一変させたが、インフラ整備が必要な車輪は普及には至らなかった。

 3の後ろに完全にランダムな数字が無現に続く円周率は現代人にとってもロマンである。信じられない桁数を暗唱できる人も珍しくない。和算の祖、関孝和は17世紀末に当の世界最大桁数17桁まで計算したというが、一寸前まではスーパーコンピュータの性能デモでも円周率の計算が定番だった。「二番じゃ駄目か」と言った議員はスパコンとは円周率の計算をする機械だと思ったのかもしれない。

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