作品の閲覧

「800字文学館」

「罪な恋文」

平尾 富男

 梅子からの手紙が届いたのは一昨年の夏だった。

拝啓 突然のお便りを、嬉しさと心苦しさの入り混じった戸惑いの内に読ませて頂きました。そちら網走刑務所の塀の中に隔離された生活にもすっかり慣れたご様子ですが、冬を迎える北海道の気候は、お体に障るのではないかと心配になります。もう何度目の冬を迎えられるのでしょうか。

 わたくしがここ洛北の鄙びた庵でひそやかに暮らしておりますことを、どのようにしてお知りになったのでしょうか。短いお手紙には触れておられませんでしたね。長い年月が、貴方様と今は亡き主人の間で苦しみ抜いた昔の日々を、やっと忘れさせてくれるようになっていた矢先のことでした。余りにも短く、そして余りにも激しかった貴方様との目眩くような生活でした。その直後に貴方様を失い、同時に主人までも亡くしてしまったわたくしが、まるで蝉の抜け殻のようになってしまったことを貴方様はご存じないでしょう。
 忘却の彼方からの突然のお手紙で、心乱れる驚きを覚えます。あの悲しい事件によって貴方様とわたくしの間が引き裂かれて以来、貴方様と暫し遊んだ能登の荒海に入水を幾たび覚悟したことでしょう。今はやっと静かな余生を心安らかに過ごす気持ちになっていましたのに。この度のお手紙は、死も厭わぬほどの一途な当時のわたくしたちの激情を、狂おしくも甘美なあの頃の二人だけの短い暮しを、昨日のことのように蘇らせました。
 何故に今頃になって届いた貴方様のお手紙、本当に罪深い手紙でございますよ。
 ここ京都の田舎でも、すっかり冬支度の準備が整いました。極寒の網走の冬の厳しさは想像だにできませんが、お身体ますますお労りくださいませ。そして、後生ですからもう二度とお手紙はお寄越しにならないでくださいね。
 世捨て人の暮らしに満足しながら一人老いていく女を、哀れと思し召しください。

かしこ

 梅子が亡くなったことを知ったのは今年の春、同じ刑務所の中である。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧