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「800字文学館」

梯子坂

中村 晃也

 かって四谷見付から牛込を経て戸山ケ原にかけての高台は、江戸市街地の西端であった。市街地の端の常として、当時は綱吉公の命による犬屋敷があり、大小の寺社が点在していた。台地の下は湿地帯が広がる広大な窪地で、現在の歌舞伎町あたりに発した蟹川(現在は暗渠)という小川が台地に沿って流れ神田川に合流していた。大窪村はその後東大久保村と西大久保村に分かれ、更に新大久保という地名も生まれた。
 窪地と台地の標高差は約六メートルで大谷石を積んだ崖が連なっていた。我が家は西に開けた高台の一角にあり、晴天の日は富士山から丹沢山塊、奥多摩から武甲山までの山並みが見えた。

 敷地の南端には、幅一間ほどの、急で不揃いの石段が崖の上下の土地をつないでいた。石段の両端は竹やぶで、暗くなると小豆婆が小豆を洗うザラザラという音がするというので子供の頃は通らないようにしていた。
 豊多摩郡誌には「坂道急にしてあたかも梯子を登るがごとし、ゆえに名付く」と坂名の由来が述べられている。現在この石段は整備され、頂上部には、案内表柱が立っている。
 平成十九年発刊の松本泰生著「東京の階段」という本の表紙に、この梯子坂の写真が飾られ我が家の一部も写っている。

 従来からこの坂は映画やTVのロケに良く用いられた。我が家の部屋や庭に照明設備が持ち込まれ、武田鉄矢が坂の途中にある清流荘というアパートの扉を叩くシーンを撮ったり、TBSで放映した「リバース」というドラマの主役の藤原竜也が出番待ちをしていたり、TV朝日の高田純次の「じゅん散歩」の通り道だったりした。

 梯子坂の一本南にある坂は、久左衛門坂と呼ばれ、当時は市谷に抜ける主要街道だった。現在も末裔が居住している旧家の島田久左衛門が開いた坂だとされているが、近所に居住していた中村九右衛門という中村家の先祖が開いたという説もある。
 いつの時代も右か左かの論争は絶えない様である。

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