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「800字文学館」

不法滞在者の追放など―養安日記から(1)

大月 和彦

 天保期の院内銀山は、秋田藩から派遣された銀山奉行の吟味役が手代などの地役人を指揮して町の経営―銀生産や行政・治安などを担当した。
 手代に任用された医師門屋養安はその日記に医療活動だけでなく町の世相を記している。

 役人としての養安の仕事関係の記事を拾ってみる。
 藩は藩財政を支える院内銀山を「特区」扱いにして、税制、食糧などの物資の調達、住民管理、治安の維持に特別な配慮をしていた。

 町に居住する人は登録され、移動は厳しく制限されていた。出入する商人や芸能人には鑑札が発行されていた。

 銀の生産が増え景気がよくなるのに伴い、町の人口は増加し、同時に無許可滞在者が増えていった。
 天保10年3月、当局は突然無許可滞在者全員の退去を命じた。
 この中に養安の仕事を手伝っていた3人の医師や鍼師が含まれていた。
 「7日、此度山中無断者急敷御調ニて、無通ひの者銘々御取払、医者・鍼師・座頭とも迄壱人も無残退山被仰付候……」と記す。
 17日には、山内の医師は私一人になった。本科、鍼療、外科の診療は私一人では勤まらない。わけてもは金瘡の治療は不得手。時節柄お願いするのは恐れ多いのですが、なにとぞ3人は見逃していただき山に残れるようにお願いする、と上司の吟味役に直訴している。翌年になって3人とも復帰している。

 一定の鉱区を請負って労働者を使って採掘する金名子には、毎月産出高を報告させていた。成績のいい金名子に褒美が与えられ、酒肴が振舞われた。
 日記には毎月のように出銀高を記している。「先月29日稼、出銀111貫800、100貫目の御祝儀、御惣中江御酒被下置……」など

 吟味役は時々舗(しき)を巡見し増産を督励した。養安も随行し、日記の随所に「○日小貫様(吟味役)亀子舗御検分」「○日小貫様松岡銀山御検分、御供」と書いている。

 犯罪の取締まりは厳しかった。「銀名子銀右衛門抱えの坑夫某抜け石の咎で揚り屋ヘ。久保田からの命令により十分一役所で耳そり、手倉掛けで追放する」とある。

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