作品の閲覧

「800字文学館」

酒食あれこれ―養安日記から(2)

大月 和彦

 院内銀山町は酒とたべものが豊かだった。酒好きだった養安は日記に毎日のように酒食のことを書いている。

 御台所や社寺での酒席が多く、歓送迎会や視察に来た藩役人への接待のほか自宅や同僚の家などでの酒宴・酒食の記事で埋まっている。

 上司の相伴、業者の接待、婚礼や仏事,俳句や将棋の会、春秋の行楽、庚申講や観音講などでの酒宴の場が毎日続いている。
 「朝役所へ。寒気冴える。「昼酒」の題で発句を始め、夕方まで飲む」「朝迎酒相催……」など。
 朝酒、昼酒、寝酒、迎え酒、御神酒、梯子酒、立酒、深酒、冷酒、温酒、大酒、餞別酒などの言葉が並ぶ。

 飲み過ぎて苦しい状態を「大酔い」「大混雑」「大賑々敷」など後悔の念を含ませながら振りかえっている。「二日酔い」の言葉は見えない。
 「某様より直々酒の指南罷越申候」とある。どのような指南を受けたのだろうか。

 はしご酒もしていた。
 上司の吟味役と飲みながら牛突きを見物し、その帰りに金名子の勘太郎親方宅に立ち寄って飲み直し、「大混雑」。その後自分の家に連れて帰り、飲み始めまたまた大酔い致し候。親方は鶏鳴の頃帰ったよし、と書く。

 町はたベものも豊かだった。
 タイ、カレイ、ヒラメ、カツオ、イワシ、ハタハタ、イカなど生鮮な魚介類は日本海に面する由利本荘から矢島を経て山道を運ばれてくる。
 「矢島より魚売り来る。カレイ一連買う」「矢島よりイワシ三籠、甘塩で旨い」とある。保田(塩サケ)ニシン、昆布、ワカメ、松藻などは蝦夷松前からのもの。
 年始の贈り物に「肉壱箱添える」とある。牛肉のことで味噌漬、塩漬、干し肉として日常的に食べられていた。
 ミズ、アサツキ、シドケ、フキなど山菜やマイタケなど旬の食材も丹念に書き留めている。

 町の酒の消費量は多かった。「横掘(雄勝町)から酒屋衆年始に来る、昨日と今朝朝酒」とある。酒の産地で知られる地元の湯沢や横堀の酒が飲まれていた。
 越後酒、最上酒、大山酒(鶴岡)、金山酒(新庄)の名も見える。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧