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「800字文学館」

近江を訪ねて

野瀬 隆平

 米原で在来線に乗り換え、田園地帯を行くと穏やかな気分になる。
 近江は両親の生まれ育った土地で、自身も子供のころに短い間であったが暮らしたことがある。
 刈取りの終わった田の先に、ひときわ大きな瓦屋根が目につく。村々にあるお寺だ。浄土真宗の門徒が多く住むこの土地ならではの風景である。
 安土で降り、安土城跡を見たあと繖(きぬがさ)山へと向かう。観音正寺を訪ねるのだ。車を降りて山道を登ること十五分。標高433mの山頂近くある西国三十二番札所の寺にたどり着く。境内からは湖国に展開する平野を一望できる。眼下に走る新幹線が模型の様に見える。

 観音正寺から、近江商人発祥の地である五箇所へ。古い町並みが今も残っている。白壁や塀をめぐらした屋敷が建ちならび、道路との間に水路がある。
 司馬遼太郎の表現を借りるならば、

「……とほうもなく宏壮な大屋敷ばかりであることに驚かされた。
 ……いうまでもないことだが、金のかけ方に感心したのではない。
 たがいに他に対してひかえ目で、しかも微妙に瀟洒な建物をたてる
 というあたり、施主・大工をふくめた近江という地の文化の土壌の
 ふかさに感じ入ったのである」となる。

 ところで、近江商人の心得として「三方よし」がよく知られている。「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」のこと。商売は売り手と買い手の双方が満足できるもので、更に社会に貢献するものでなければならないとする。
 何事も自分の力だけでは出来ない。人様や世間一般の助けがあってはじめて叶えられるという、浄土真宗の他力本願の教えがその根底にあったのだろう。
 江戸時代には士農工商という身分上の階層を示す観念があり、商人は最も低いところに位置するとされていた。そんなこともあり、商売で儲けることにある種の罪悪感を覚えていたのかも知れない。歎異抄の「悪人正機説」が示すように、その悪人を救ってくれるのが阿弥陀仏であると説く浄土真宗が広く信仰されていたのも、故なきことではない。

『街道をゆく 近江散歩』より引用

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