よろけ・疫病の治療―養安日記から(3)
銀山の労働は騒音、湿気、粉塵など苛酷な作業環境の中で行われていた。
医師養安の本来の仕事は銀山の労働者と住民の怪我や病気の治療だった。日記には、山奉行の役人―手代としての仕事の記事が多いが、医師の仕事のことも時々出てくる。
まず、上司・同僚の役人や身内の病気治療の記事である。
昨夜奉行様の家に病人が出たので正気散2服調合する。今朝薬代を200文受け取る。
奉行様が夜中に腹痛、明け方に呼出され,御薬三和散に木香,山査子を加え2服調合してさし上げる。吐き通して腹痛止む。
など町医者というよりお抱え医師の仕事が記されている。
銀山で大きな健康問題は職業病のよろけ(珪肺)だった。
粉塵の出る坑内では、吸いこんだ珪酸を含む微粉が肺に沈着し、息切れや呼吸困難の症状を起こす。治療法はなく、当時はよろけになると32歳過ぎには血を吐いて死んでいく。40歳まで生き延びるのは稀で、32歳で初老の祝いをしたという。
よろけ患者の治療の記録を残している。
養安と親交があった金名子の山崎権六が病気になる。山崎は坑内労働者から金名子にまで上りつめた町の実力者だった。養安は次のように書く。
金名子山崎権六殿血を少々吐いたので医師周達老に診てもらい、妬加、貝母、知母を与えるように伝えた。2貼投与したが効果ない。清肺湯、紫苑、阿膠を使う。特別の症状がなくいつもと変わりがなかったが、夜中に便所で倒れ、四つ時ごろ病死する。私が行った時は脈がなかった。57歳。
死因はよろけだった。
赤痢・疫痢など疫病の対応も大きな仕事だった。
天保10年夏に流行した疫病に、大工(採掘坑夫)81人、運搬夫11人、坑外夫11人、選鉱婦38人計141人が罹った。治療に当たった養安は、「大工の外病体見候ニ及不申候」と記す。
141人のうち、大工以外の者は病人とはいえないとする。
薬に限りあるので、銀の採掘を直接行う大工を優先的に治療せざるを得ない……と決断する。
銀の生産を優先する銀山役人(経営者)の立場からの医療だった。