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「800字文学館」

芝居、落語など―養安日記(4)

大月 和彦

 天保年間の院内銀山は、銀の増産が続き「シルバーラッシュ」だった。狭い山間の町では寺社の祭礼や節句、花見、盆踊り、花火、月見など四季折々の行事が賑やかに行われていた。句会茶会もあった。

 6月の山神社の祭礼をはじめとする各寺社の行事には、各地から物売りが集まって露店が立ち並び、町内と近隣の村からの客で賑わった。呼び物は芝居と相撲だった。山神社境内の広場に舞台や土俵が作られ、観客は広場の周りや石段で見物した。

 江戸や大阪から一流の芸能人もやって来た。
 日記には「祭礼滞無く相済み申し候。芝居これ有り、角力もこれ有り、見物人夥しく参り候」と盛り上がった様子が記されている。
 芝居の演目や役者・芸人の名を書き残している。江戸の講談師田辺南龍、新内の岡本駒太夫、大阪の浄瑠璃語り竹本巻太夫一門、江戸の噺家珍年舎新笑など。

 銀山近くの横手市の浅舞や金沢(かねざわ)と本荘にあった芝居の一座も銀山に出入りしていた。

 「御堂へ参拝。忠臣蔵三段より十一段目まで演ずる」「夕方吟味役、長床で芝居見物」「夕方から芝居。長床へ奉行様お出でになり私も見物。狂言一の谷を見る。見物人今年は少ない」「昼ごろ御台所前で角力行われる。大酔して見物せず」と記す。
 芸人は御台所や手代、金名子の家に呼ばれても上演していた。養安の家が寄席の会場になったこともある。

 養安は芸人を町の有力者などに紹介していた。噺家新笑について「江戸生れの噺家珍年舎新笑と申す仁、久保田より紹介状を持って来る。家に置く」「新笑子を院内本陣へ連れて行く」「新笑子、金名子の庄之助方へ呼ばれる」などよく面倒を見ていた。

 役人や町の有力者の間ではお茶や俳諧も盛んだった。
 「久保田より御台所に春の発句会の紙が送られてくる。5句を出す」「句会の点開く。5句に添削あり。御台所へ送り開く」「御台所で合点句の発表あり」「昼より御台所で茶会催す。全席例の通り……奉行様など7人列記、亭主を勤める。夜、酒をいただく」と書いている

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