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「800字文学館」

葛城古道

内藤 真理子

 奈良を旅しようとチラシを見ていたら、土蜘蛛塚のある葛城一言主(ひとことぬし)神社が目に留まった。能の演目「土蜘蛛」の、妖怪を退治するときの派手に網を投げ広げる場面が頭に浮び、行ってみることに……。
 神社の鳥居をくぐると、すぐ左にある台上に鎮座している大きな石が「蜘蛛塚」であった。チラシによると〈神武天皇が土蜘蛛を捕え、その怨念を封じこめたものと言われている〉との事。
 石段を登り一言主神社の境内に入ると、立派なお社はあるものの、歴史的な表示はなく、土地に根付いた近隣の人の為の神社の様相。
 だが、金剛山と葛城山の東側山裾にあるこの神社の境内からは、奈良盆地の街並みや、周りを取り囲むゆるやかな山々が望め、あのこんもりした小山のようなところが高松塚古墳だろうかと、歴史を偲ぶような風情があった。
 鳥居の所まで戻ると、立て看板に葛城古道の紹介と、途中の寺の名前と写真が載っていた。折角来たのだからと、三キロほど先にある九品寺まで歩くことにする。
 その日は台風一過の晴天で、田舎道には枯れ枝や枯葉が散らばり、脇を流れる川は滝のような音を立てていた。
 葛城古道と名打った道には、ほとんど民家はなく、芒やセイタカアワダチ草が秋空に映え長閑な所だったが、刈り取りの終わった幾つもある棚田の土手は、所々決壊して土砂が流れ込み台風のすさまじさを物語っていた。
 この道で良いのだろうかと不安になりながら、細い道を歩いていると、田んぼと森の境目に、細長い石柱が立っていて
「綏靖(すいぜい)天皇葛城高丘宮跡」と彫ってあった。近くにある真新しい石板には
「第二代綏靖天皇の皇居である葛城高丘宮の遺跡と伝えられる」とあった。
 えゝ、皇居? この場所が?
真偽のほどは定かではないらしいが、神代の昔、栄耀栄華が繰り広げられていたかも知れない。花も嵐も幾星霜。
 すっかり太古の昔を旅しているような心もちで辿りついた九品寺は、奈良時代、行基が開創したものだった。

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