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「800字文学館」

コモ湖とクラレッタ・ペタッチ

志村 良知

 BSの「世界の危険な道路」という特集番組にスイスのゴットハルト峠旧道が出てきた。私はここのつるつるの石畳の狭い急坂を、全日本アルプス峠道同好会の会長と車を連ねて下ったことがあるが、そんなに怖かったという記憶はない。この峠には別途に立派な新道峠がある他、下を貫く道路トンネルもあるので旧道は歴史遺産としての存在でしかない。
 峠の北側はスイス建国のテル伝説の地アルトドルフ、峠の南側アイロロはイタリア語圏で、南下するとまもなく国境を越えてコモ湖畔に出る。

 保養地として有名なコモ湖は南北に長い氷河湖で、北はアルプスの麓に食い込んでいる。湖の北にあるスプリューゲン峠を越えると一発でライン流域に出られるのでローマ時代からコモ湖の水運とスプリューゲン峠を組み合わせた南北通路があった。ほぼローマのままという峠のとっつきは、ほとんど垂直の崖を縫っていくローマの土木技術の粋のような道で、急坂は狭くて鋭いカーブの連続、ゴッドハルト旧道より怖い。1速ギヤで右に左にと綴ら折れをよじ登る。アルプス峠道同好会の古参会員はこれを車によるロッククライミングと称したが言い得て妙である。
 コモ湖遊覧船から見える絶景の中の湖畔周回道路も狭く険しく、私は途中何度もへこたれそうになった。険しさゆえに保養地は南側のコモ周辺に集中し、奥地の交通途絶に近かったような村には、遺伝的に異常に強健なスーパーマン一族が封ぜられていたという伝説もある。

 ムッソリーニは愛人クラレッタ・ペタッチとスイスへの逃避途中、コモ湖畔の村でパルチザンに捕えられて殺され、共にミラノで逆さ吊りにされた。寝室を襲われたクラレッタがベッドから出るのを渋っていて咎められ、「パンティーを探しているの」と答えたという話が残っている。クラレッタが逆さに吊るされた時、彼女のスカートは心ある人によってめくれないようにベルトで止められていたのでそれが見つかったのかどうかは誰も知らない。

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