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「800字文学館」

三ノ輪の親分の町

首藤 静夫

 台東区入谷に用ができた。天気も良いし早く着いて下町をブラブラしよう。
 電車に貼られた路線図が目に入る。入谷の次に三ノ輪とある。あの銭形平次の三ノ輪の親分のところだ。
 手元の地図を見ながら考える、平次は神田明神下なのに、ライバルはなぜ三ノ輪なのだろうか。よく知られた浅草や本所にしてもよさそうなものだ。神田と三ノ輪ではかなりの距離だ、その間を縄張り争いしたのだろうか。
 ふと思いついた――浅草や本所などは事件の主舞台として度々登場させたいのだ。片方の親分がその近くでは縄張り争いに有利不利が生じる、それでどちらも遠くにしたのではないか。それにしても事件のたびに最初に現場に駆けつけるのは三ノ輪の親分だ。なかなかの情報網と行動力ではないか。

 日比谷線を三ノ輪駅で降りた。すぐ近くに都電の三ノ輪橋駅があった。周辺はなかなかレトロで、都電ホームの壁には「松山容子の大塚ボンカレー」や「大村崑のオロナミンC」などの看板がかかっている
 細長い商店街など下町の余情を楽しんでいると、妙に背の高い、一風変わった建物が現れた。新興宗教の本部だろうか、関心もないが通りすがりに覗いてみた。「円通寺」とある。これが寺院か、といいたいほどアンマッチな本堂だ。少し荒れた感じの前庭が気にいり入ってみた。庭の一角に何故か黒門がそびえ、その中は墓碑銘や鎮魂碑が数多く並ぶ。
 「新門辰五郎の碑」が目にとまる。興味を覚えて周囲の墓碑を見ると榎本武揚や大鳥圭介などの名がみえる。歩き回って分かったが、ここは彰義隊をはじめ佐幕側の人々を弔った寺院だった。賊軍の汚名を着せられ放置状態だった多数の彰義隊士はこの寺の住職により上野のお山で火葬され、この寺に埋葬されたそうだ。最初に見た黒門は寛永寺からここに移された由。よく見ると傷やへこみが無数にある。何気なく入った寺だが鎮魂の気持になっていた。

黒門の矢弾の痕や帰り花    しずを

 三ノ輪の親分の墓は見つからなかった。

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