院内銀山の戊辰戦争―養安日記(5)
慶応4年(明治元・1868)、鳥羽・伏見の戦いで始まった戦争は東北地方に及んできた。奥羽鎮撫総督(官軍)側に立った秋田藩は奥羽列藩同盟の周辺諸藩と対立した。
藩領の南端にあった銀山にも慌ただしい動きが伝わり、町は緊張と不安に包まれていた。
同年1月の養安日記に、「京都大変の御書付を奉行から借りて写す」、「庄内藩主酒井様が朝敵とされた。官軍、出羽6国征伐を命ず」、「銀山では新しく雇わない、他所から身寄りの者が来ても受け入れない、泊めない。十分一番所の警戒を強めるとの廻文が来る」、「列藩同盟の相馬様から使者が来る」……とあり周辺諸藩の動静を記録している。
7月に入り銀山近くで戦闘が始まる。盛岡藩と庄内藩の軍勢が横手、湯沢方面に進攻し町を焼き払う。新庄藩と本荘藩が仙台勢に占領されるなど秋田藩側は劣勢だった。
やがて薩摩・長州の兵が続々町に入って来て緊張感が高まった。養安は家族を近くの山中に避難させた。次のように記す。
- 10日
- 佐賀藩と萩藩の兵来る。金名子の家に分宿。酒一升と蝋燭を渡す。手代の作衛門宅へ12人が駕籠3挺で来る。夕食を出す。明け方3人を残して矢島へ向けて出発する。
- 11日
- 及位村が焼かれる。笹子町の火災は官軍が放火したという。御台所*で炊き出しをして牛で官軍に届ける。
- 12日
- 長州兵が2人御台所へ来る
- 13日
- 人通りがない。昨日潜入した仙台兵を捕まえる
- 14日
- 金山から来た人の話によると長州藩と鍋
島藩が金山で合流、仙台勢を撃破し最上川中流の請川口まで来たという。 - 14日
- 手代の金沢正蔵の話では、今朝新庄公(戸沢氏)が敗走し湯沢方面に向かったという。
- 17日
- 仙台勢が来る気配がない、空騒ぎだったのか。長州兵が大砲を試射する
- 18日
- 小倉藩の兵多数来る。宿割をする。
- 27日
- 役内口(湯沢市)で戦闘あったと聞く。
- 29日
- 官軍、銀山を出ていく。
戦場になることなく院内銀山の戊辰戦争は終わった。
銀山で35年間日記を書き続けた門屋養安は、明治6年に死去した。82歳。墓は同地の共葬墓地にある。
*銀山にある藩役所