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「800字文学館」

西向天神社のお神輿

中村 晃也

 この神社は正式には大久保天満宮というが、地形上社殿が西方の京都を向いていたので、西向天神と名付けられた。安貞二年(一二二八)明恵上人の開祖という。起伏のある広い境内はケヤキ、ヒノキ、イチョウなどの新宿区による緑の文化財指定の大樹が林立し、市民の憩い場となっている。
 大町桂月著の「東京遊行記」(明治三十九年)には新宿随一の眺望よき処と記載され、茜色の夕空に富士山や丹沢山塊のシルエットが望めたが、現在は新宿西口の高層ビル群に遮ぎられて見ることができない。

 私の管理している抜弁天厳島神社との兼任の宮司から、この神社のお神輿が老朽化して困っていることを聞いた。これは昭和三年に地元の有力者が浄財を拠出して造られたもので、以来町会が管理している由。今年で八十八年目、人間ならば米寿の年を迎えたわけである。
 今では東京近辺には三基しかない、八つ棟造りという珍しい形式のもので、戦時中に当局から供出命令があった際、この神輿だけは隠し通したお蔭で現存し、現在新設すると三,四千万円はするという。

 このお神輿の抜本修理こそが地元貢献になると考えて、町会長に相談すると、町会としてもお神輿修理費用を積み立てているが現在三十万円しかないという情けない話。ならばと町会の役員を集めてお神輿抜本修理委員会を結成、私が寄付集めの趣意書を起草し、町内で寄付を集め、不足分は抜弁天厳島神社が充当することになった。

 浅草のいわゆる仏壇通りにある(株)岡田屋布施という仏具・神具の専門店が、このお神輿の製造元であり、修理を依頼する先である。
 修理に半年はかかり修理費用は約一千万円。釘を一切使わないで細かい部品毎に漆を三回塗り、その上に金箔を張り付け組み立てる完全な職人技である。

 今回抜本修理をすれば三十年は保つそうで、次期修理の頃には私はこの世には存在していないが、誰かがこの意志を受け継いでくれればと思っている。

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