「対馬」の現状をひとめ見て
「対馬」と聞いても、吾々の多くは「九州と朝鮮半島の間にある国境の島」程度の認識ではなかろうか。
調べると九州本土まで百三十キロ、朝鮮半島までは五十キロの位置にあり、南北に細長い島である。外海は玄界灘だが、島の中央を切断するように大きな浅茅湾が食い込み、入り江や小島が多い。面積は淡路島より広く、その殆どが急峻な山林で平坦な農地はわずかである。人口は約三万人、主産業は水産業と林業とのこと。
私は十数年前に対馬を訪れたことがある。浅茅湾の奥に鎮座する和多都美神社は周囲の静寂な森や海にとけ込んでいた。拝殿前の海中には二つの鳥居が並び、神武天皇の祖父母にあたる山幸彦と豊玉姫の墳墓がご神体である。背後の烏帽子岳に登ると、円錐形の緑の山々が浅茅湾を取り囲み、さらに先は大海原であった。北に韓国も望める三六〇度の景観を眺めつつ、高天原に立つ気分となった記憶がある。観光客は少なく、ホテルで出会った韓国人に「横浜から来た」と話すと、「随分遠くから来ましたね」と驚かれたことも思い出す。
記紀神話に出てくる主要な神々の社や、防人の最前線基地であった金田城の旧跡を改めて見学したくなり、今秋に友人数名を誘い正味一日半の対馬ドライブ旅行へ出掛けた。
ところが和多都美神社に着くと十数台の大型観光バスが並び、境内は韓国人で溢れている。静かな参拝などとても覚束ない。烏帽子岳の展望台に登ると、これまた韓国人で立錐の余地も無い。ホテルの食堂は韓国からの観光客で満席、宵の街を歩くと耳に入るのは朝鮮語の会話ばかり、道路の看板やパンフもハングル文字が目立つ。
島では高齢化と過疎化で水産業や林業が衰退し、経済を韓国からの観光客に頼らざるを得ないという。しかし小料理屋で地元の方から聞いた話だが、韓国人ガイドが「此処は韓国の領土です」と説明していたそうだ。大和政権発祥の地かも知れない「対馬」である。日本人としてとても笑い話にする気は起らなかった。