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「800字文学館」

警視庁工場課

大月 和彦

 ある読書会で向田邦子の『あ・うん』を読んだ。主人公水田仙吉が「あ・うん」の関係にある「寝台戦友」の門倉修造に「軍需景気でウケに入っている工場で、職工を虐待しているところがあるそうじゃないか。新聞に出ていたぞ。警視庁の工場課で、抜き打ち的検査を行っておる…」。工場を経営する門倉は「大工場の話だよ」と受け流す。昭和10年ごろ軍需で好景気だった頃のことである。

 警視庁の「工場課」。工場法や工場監督官などとともに忘れ去られた言葉だ。工場法は、産業革命後の苛酷な労働環境で働く工場労働者、特に若年・女性労働者を保護するため西欧諸国で制定された。

 日本の工場法は大正5年に施行された。保護職工(年少者と女子)の就業制限や労働時間規制など内容は不十分だったが、農商務省に工場課が、地方警察に工場監督官が置かれた。その後の法改正により規制が強化され、同時に所管が内務省に移り、工場監督は内務省社会局と地方警察が行うことになった。

 昭和10年当時の警視庁には、治安維持法に基づいて思想犯を取り締まり、社会主義運動や労働運動を弾圧する特高(特別高等警察部)と、工場法に基づいて工場を監督し労働者保護に当たる保安部工場課があった。工場監督官は工場に立ち入り検査し、法の順守状況を監督していた。

 作品中「職工を虐待している」は、14歳未満の使用禁止、保護職工の労働時間規制(1日12時間)、深夜・危険有害業務の禁止規定に違反していたことを指し、「警視庁の工場課で抜き打ち的検査…」は当時新聞に報じられた工場監督官の立ち入り検査のことと思われる。

 大正15年に内務省に採用された谷野せつ*は、昭和10年に警視庁工場課の工場監督官となり、保護職工の多かった別珍加工や製糸業などの工場や寄宿舎の実態調査を行っている。

 戦時体制に入ったこの時期に、将来のマンパワーを確保するために劣悪な労働環境で働く若年・女性労働者を保護する施策が行われていたのである。

 *『婦人工場監督官の記録』(ドメス出版)

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