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「800字文学館」

深川、門仲ぶらり

斉藤 征雄

 年末のある日、門前仲町で飲み会があった。地下鉄大江戸線を降りて地上に出る。時間があるのでぶらり一回りすることにした。

 先ず富岡八幡宮へ向かう。つい最近、凄惨な事件が起きたばかりだが……やはり静かだった。早々に奥の「横綱力士碑」を通り過ぎ裏口から数矢小学校の前に出た。もう少し北へ行くと明治小学校もある。かつて木場が栄えた頃、材木で富を得た成金の子弟が多くいて、これらの小学校は山の手に負けないほど垢ぬけていた、と土地の古老が自慢気に話すと司馬遼太郎が書いていたのを思い出した。

 深川は、明暦の大火以降急速に開発された。そして木場を中心として経済的にも繁栄し、元禄時代には一大繁華街となったのである。多くの文化人も住んだ。平賀源内、伊能忠敬などが知られ、芭蕉の草庵も深川にあった。
 当然花街も賑わい、江戸の東南に位置することから芸者は辰巳芸者と呼ばれた。人情に厚く、粋で気風がよいので評判だったという。当時は男しか着なかった羽織をまとい、冬でも素足で男まさりの心意気が自慢だったらしい。
 永代通りを渡って、路地に入った。このあたりが辰巳芸者の活躍したところだろうか。しかし、昔の華やかさはなかった。
 そのまま歩いていくと、掘割に出た。橋の上から眺めると結構な深さと水量だ。かつてこの辺りは湿地帯だった。そこに掘割を縦横に掘って水を抜き、住めるようにしたという。江戸の掘割が昔ながらの姿で残っているということか。

 約束の時間が近づいたので、深川不動尊の方へ戻った。参道が見違えるように整備されていた。「人情深川ご利益通り」の幕が下がっている。立ち飲み居酒屋で、何人かの客がすでに調子を上げていた。居酒屋は江戸時代が発祥だ。
 今日の飲み会もこじんまりした居酒屋。各地の銘酒に洒落たつまみ。盃が進む。蕎麦屋へはしごして、最後にコシのあるそばを手繰ってお開きになった。
 帰りは再び大江戸線に乗る。そういえば、大江戸線という名前も悪くないな。

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