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「800字文学館」

スポーツ雑感(独断と偏見)

大森 海太

 所謂スポーツの起源とは意外に新しく、一九世紀産業革命で裕福になった英国のジェントリー階級が、パブリックスクールで子弟の心身鍛錬のため始めたもので、試合後はノーサイドとなる紳士の運動である。野球のもとになったクリケットなどは今もってよく分からないが、紅茶を飲みながら四、五日かけて試合をするそうで、英国圏以外には広まらなかった。

 ところがいつのまにかスポーツを職業とする連中が現れ、一方アマチュアスポーツも次第にもとの意義が見失われて勝敗や記録にこだわり、それをまたマスコミがあおりたて商業主義が加わることによって、多くの人間がスポーツはやるものでなく「見るもの」と勘違いするようになってしまった。さながら古代ローマにおける「パンとサーカス」のようである。ほんらい学生であるはずの若者が、勉学そっちのけで朝から晩まで専門的なトレーニングまたトレーニング、まるでサイボーグかローマの剣闘士みたいである。

 クーベルタン男爵の近代オリンピックは今や国威発揚の場と化し、なかには目的のためには手段を選ばず、国をあげて薬物乱用に走るところも出てくるし、果ては南北問題の駆け引きの材料となる有様で、こうなったらもうやめたほうがマシだとさえ思いたくなる。少なくともオリンピックやその他の国際試合では、国旗掲揚や国歌演奏は廃止して、あくまでも個人(個人の団体)の競技にとどめては如何であろうか。ついでに申せば、オリンピックの種目も多くなりすぎで、なにやら床掃除まがいのものまで現れる始末、これも思い切って絞り込むべきであろう。

 ゴルフのことを言えば、いつぞやホームコースでご一緒したご老人は、スコアカードなど持たず実に悠々とプレイを愉しんでおられた。これぞ真のスポーツ、私の理想とするところであって、もし八十歳を過ぎてもゴルフができるなら、ぜひ真似してみたい。とは言うものの、やっぱり一〇〇は切りたいというのが目下のところは本音である。

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