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「800字文学館」

無我夢中

三春

 その昔、家族揃って川の字で寝ていた頃のことだ。父が夜中に皆を揺り起こし、「茶の間に泥棒がいる」とひそひそ声。一家4人、茶の間に通じる襖の前で息を殺し、耳をそばだてる。バットを取り出した父が母の背中を押した。
「これ持ってお前が先に行け!」
「なんで私なの、ここは男の出番でしょ」
「お父さんカッコワル~イ」と小学生の兄。
 そうこうするうちに、寝ぼけまなこの幼稚園児(私)がいきなり襖を開けた。慌てて身構える一家をよそに薄墨色の静寂が広がる。
「あれ? 夢か」の一言で父の株は暴落した。

 それから40年余り。入院中の父を見舞いに行くと、上機嫌で語りだした。
「夕べは隣の部屋でダンスパーティがあってね、騒がしくて寝られなかった。でも一色中佐がやって来て、いろいろ話せて嬉しかったよ。お前にも会ってもらおうと声をかけたのに居なかったじゃないか、どこに行ってたんだい?」

 隣の病室でパーティ?またしても夢と現実の混同だと気づいたが、父亡きあとは、自分を語らなかった父の特別な夢としてずっと記憶に残った。それが偶然にも先週、某氏の手記に一色大佐を発見した。大佐は士官候補生たちの隊長で、終戦間近に沖縄防衛軍に転属する前夜、激越な調子は少しも見せずに戦況の非勢を率直に説いて、候補生の多くが胸を打たれたそうだ。大佐でも中佐でもいい。「一色」という偶然の符合に心がコトンと音をたてた。

 それにしても哺乳類はなぜ夢をみるのか、その役割と仕組みを探る脳科学は未だ研究途上だ。夢をみるのはレム睡眠の時だとよく言われるが、ノンレムでもたまには夢をみるらしい。しかも睡眠中には前頭葉の機能が抑制されて理性的な照合が行われないから、辻褄のあわないストーリーでも受け入れてしまう。そして「無我夢中」の言葉通り、夢を見ながら、これは現実ではなく自分は夢を見ていると“気づく”ことは稀である。
 ところで、さっきから猫がむにゃむにゃ寝言を言っている。どんな夢をみているのやら。

*レム睡眠 (Rapid Eye Movement sleep) ・・・ヒトは眠りにはいって一時間半ほど経つと、目を閉じたまま眼球が激しく動き出して脳波も活発になるが、目覚めているわけではない。この「急速眼球運動」Rapid Eye Movementを、英語の頭文字をとってREMと呼ぶ。

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