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「800字文学館」

夢と脳科学

池田 隆

 「夢」という語は睡眠中の幻覚を指すが、将来的な理想像の意味にも使われる。英語の”dream”も同じである。
 睡眠中の夢ではしばしば人に追い掛けられたり、試験準備が覚束なかったり、他人前で恥ずかしい姿だったりする。時には空中遊泳など楽しい夢もあるが、多くは恐怖、不安、羞恥に駆られる暗いイメージである。もう片方の夢は運と努力次第で実現可能な明るく幸せな印象を与える。相反する両者が何故同じ語になったのか、不思議である。
「夢は抑圧された性的欲望の現れ」というフロイトの心理分析は有名である。その一方で、この半世紀間に脳科学による夢の解明も大いに進んだと聞く。疑問を解こうと一冊の啓蒙書を読み始めた。
 睡眠中に眼球が動くレム睡眠の発見に始まり、覚醒時、睡眠時、夢見時の生理学的解明が米国の大学や研究機関を中心に驚くほど進んでいる。それには膨大な数の人から聞き取った夢の記録、猫などの動物実験、脳障害を有する人の徹底した診断なども大きく寄与し、PET(陽電子放出断層撮影法)が強力なツールとなっている。
 理性、感情、記憶、感覚、運動、認識などの機能別に分かれた脳の各部位の活性化状況が覚醒時、睡眠時、夢見時のモード毎に判明し、モードを切り替える神経伝達物質の挙動も明らかになった。その結果、夢の「直ぐに忘れる」、「辻褄が合わない」、「古い記憶が蘇る」といった特性のメカニズムが解明されている。さらには夢で「これは夢だ」と気づく明晰夢などの実証と分析が進み、覚醒中の意識の科学的解明も近づいているようだ。一時は否定されたフロイトの説も部分的には脳科学で証明がなされている。睡眠中は様々な夢を見ているが、恐怖や不安を伴う夢は目覚めた後も頭に残り易い。そのため夢全体の印象を暗くしているとのこと。
 残念ながら、明るい理想像を思い描く覚醒中の脳の挙動については言及がない。言語学などの分野でも脳科学を駆使して調べてみては如何だろう。

(参考)アンドレア・ロック著「脳は眠らない」(ランダムハウス講談社2006年)

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