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「800字文学館」

『日の名残り』を読む

安藤 晃二

 カズオ・イシグロほど自らの作品を懇切に解説する作家がいただろうか。種明かしを見る思いである。『日の名残り』は英国的に映るが、実は敢えて英国を知る読者を想定せず、文化と言葉の壁を超える作品を意図した。

 主人公は貴族の館の執事Stevens、戦後、代替わりしたアメリカ人雇主の冗談に戸惑う、時代の変遷を象徴するシーンから、主人の車を借りて旅に出る。昔の同僚、結婚してCornwallに住む元女中頭、Miss Kentonに会いに行く。道々語られる執事の追憶に沿って物語は進む。

 Stevensは誤った価値観の下で人生を生き続け、更には、その最盛期にナチスシンパの前主人に仕えた。個人として道徳的、政治的責任を取れず、深い意味で人生を棒に振ったと言える。完璧な従者に徹し、情緒を現さず、女性への愛情を自らに禁じて無関心を装う。その誤りに気付くが、いまや遅い。
 イシグロはmetaphor( 隠喩=何かに置き換えられるもの)の大きさが小説を支配すると強調する。「執事」は二つのmetaphorを成す。一つは、感情を表すことを怖れる。二つ目は政治権力との関係である。人は上の上、究極の政治レベルで如何に寄与するか盲目のまま、自分の仕事にまい進する。
 執事が自身に、また読者に対し、感情を最後まで隠しおおせるか。イシグロは小説の筋書を終章に向けひっくり返す。Miss Kentonとの別れの会話で「実現したかも知れない、あなたとの別の人生」と言われ、Stevensの心は張り裂けんばかりに痛む。バスに乗る彼女と涙の別れ。翌日、独り夕日の海岸の桟橋のベンチで「力を振り絞って主人に仕えた人生」を想い、「もう絞れない」と、脇の男が差し出すハンカチを断り、さめざめ涙に暮れる。人間Stevensが現れる。

 イシグロは、この甲冑破壊の展開をsinger-songwriter、Tom Waitsの歌を聴いて着想した。Waitsは愛人を離れ朝汽車に乗る兵士を歌い、ルンペン風のしわがれ声が高揚し深い悲痛を伝える。Bob Dylanに心酔したイシグロは、歌う「声」の持つ底知れぬ表現力に学んでいる。

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