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「800字文学館」

ドリアンを頬張る

大月 和彦

 昨年の秋、娘一家が暮らすシンガポールへ行った。事前に観光地巡りは不要、カレー料理とドリアンを食べたい旨伝えておいた。

 ドリアンは30年ほど前、同地在住の友人と裸電球の灯る屋台へ行って食べたのが初めて。店の主人がナタで割って取り出した果肉を手掴みで頬張った。南国のこの果物に魅せられてしまった。

 果物の王様といわれながら強烈な臭いのため、好き嫌いがはっきりと分かれる。腐った玉ねぎの匂いとも「汲み取り式便所で食べるアイスクリームの味」ともいわれる。「悪魔の果実」と呼ばれている。
 レストランやホテル、交通機関への持ち込みが禁止されている。街中にNO DURIANの標識があった。

 日本でもスーパーで目にすることがあり、一度買ったことがある。包を玄関に置いておいたところ、変な臭いがすると騒ぎ出す。取り出すと家族そろって鼻をつまんで拒絶反応。せっかくの珍しい果物も食べてもらえなかった。

 ドリアンを食べたいという注文に、娘は収穫期でないなどと渋っていたがドリアンの店を見つけてくれた。風俗の店が多いゲイランという下町にあるらしい。

 リトルインディアでカレー料理を食べた後、タクシー乗り場でドリアンの店の名を告げるが何回か断られる。やっと見つけた車でゲイラン地区に。
 以前来たことのある店らしい。ドリアンが積み上げられている。皮を剥いた果肉がパックに入ったのを求める。
 店頭のテーブルに坐り、備え付けのビニールの手袋を嵌め手で掴んで口に入れる。南国の果実らしく濃密でとろけるような甘さが口中に広がる。水分が少ないので歯にからみつく。口の周りにくっついた果肉をティッシュでぬぐう。臭いはあるのかないのか。
 妻は最初から食べない。ドリアンは初めてという娘夫婦は一口頬張るが顔をゆがめて、ノ―サンキュー。

 帰りのタクシーの運転手さんは最初愛想がよかったが、次第に口数が少なくなる。やがて窓を開けて外気を入れる。臭気に耐えられなくなったらしい。
 恐縮した娘は、この国で廃れていた習慣のチップを弾んでいた。

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