作品の閲覧

「800字文学館」

スポーツと伝統文化のはざま

首藤 静夫

 白鵬の張り手、かち上げが問題になっている。
 横綱の品格に欠ける、横綱相撲ではないとの批判が横審から出た。それかあらぬか、初場所の白鵬は負けが重なり途中休場した。
 張り手、かち上げは反則ではない。荒っぽい技ではあるが、脇が開くので相手につけ込まれるリスクがある。それを覚悟でこの技をくりだす力士がいる。ただ、横綱などが使うと批判される。引っ掛けや引き技も同様に苦言を呈される。それなら負けにすればと思うがそうでもない。このあたりが分かりにくい。
 一般の競技では、選手がどんな技を使おうが、反則技でなければ許される。その戦術が称賛されることもある。柔道の王者が寝技に引き込んで勝ちを収める、或いはボクシングのチャンピオンがクリンチでピンチを脱すると批判されるだろうか。さらに面白いのは、行司がいるのに審判団の最終判定で勝負が決まることだ。

 白鵬に似た話は昔からある。双葉山は、稽古場では下位の力士を羽目板までふっ飛ばし負傷もさせたとか。普段から自分に対する畏怖心を植えつけていたようだ。大鵬は、現役後半、組みついた相手の首根っこを片手で押さえつけ、相手が転ぶしかない態勢にしむけて勝ち続けた。批判はあったが、これも反則ではない。
 長期にわたって横綱を張り、勝ち続けることは、どうも神様や品格の領域ではないようだ。何が何でも勝ちにいく執念や闘争心の賜物であろう。それを「らしくない」とするなら今までのルールを変えるほかない。
 結局、大相撲はスポーツの一面を持ちながらもプロレス同様に興行である。興行という言葉が嫌なら日本独自の文化・芸能だ。伝統文化だから、取り口の綺麗さや礼儀作法、出処進退の潔さが尊ばれて当然だ。しかし、外国出身力士をこれほど登場させ、今や完全に「ウィンブルドン現象」を起こしている大相撲で、いつまでも「日本の伝統文化」が通用するだろうか。そのうち、柔道のような国際ルールになったらと思うと恐ろしい。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧