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「800字文学館」

睡眠と絶望

平尾 富男

 枕元には数冊の本を置いておくことにしている。最近ベッドに入って目を瞑っても、すぐには睡魔が降りてこないことが多くなっているからだ。それに、「読書は人間がベッドの上で行う二つの快楽のうちの一つである」と丸谷才一が『思考のレッスン』(文芸春秋)に書いていたことも頭の隅に残っている。勿論、もう一つの快楽とは「睡眠」だ。
 果たして睡眠は人間にとって快楽であろうか、とふと考えてしまう。眠ってしまえば特別に心地よい夢でも見ない限り、睡眠が快楽かどうか分からないではないか。睡眠は心身を休める為に必要不可欠な生理現象ではある。睡眠の結果として心身の休息、身体の細胞レベルでの修復とか記憶の再構成などが実現されるのだ。
 この意味で、睡眠は短期的には栄養の摂取よりも重要である。眠らない状態を長く続けると思考能力が落ち、妄想や幻覚が出てくる。それだけではない。強制的に不眠状態を続けさせると、死に至ってしまうのだ。
 そういえばデンマークが生んだ哲学者キェルケゴールの著書に『死に至る病』というのがある。新約聖書『ヨハネによる福音書』から引用されているイエス・キリストの言葉で、絶望を意味するとされる。そして真のキリスト教徒ではない限り、自分自身が絶望について意識しているかどうかに関わらず人間は絶望していると説いている。
 信仰者でなくとも、大災害に見舞われて大切な親族を、そして住む処さえも失って途方に暮れている人が絶望の淵に立たされるというのは、部外者でも想像は出来る。
 絶望から人を救うのも睡眠であるという。寝ている間は、快楽はともかく、絶望もないのだから。もっとも、絶望しているときに寝ると、悪夢にうなされてしまうことになるかもしれない。日頃思い悩むことが多い一方で、肉体的疲労がないと睡眠の質が落ちてしまう。
 自然な眠気を誘うために、床に入ってから、読書をすること、或いは音楽を聞いたりするのも効果的だと医者は勧める。

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