『方丈記』と『徒然草』の読書会
気が置けないメンバーの読書会で、『方丈記』と『徒然草』を読むことになった。
中世は、人間臭いところが好きだ。
政治的には、武家勢力が公家勢力に替わって支配権を確立する時代だが、一方でこの時代は、農業生産が著しく発達、商品経済が活発化し貨幣経済が浸透した。その結果、農民の中から専門の手工業者や商人などの非農業民が生まれるとともに貧富の拡大によって多くの下層民をも生み出した。こうして多様な構成の民衆が、存在感を持つ社会へと変化したのである。しかも農村では自治組織として惣の形成が進み、都市では商工業者によって町衆が生まれ、それぞれが自立意識に目覚めた時代である。そこには、きれいごとだけでは済まない人間社会の諸相が現れる。
文化の担い手の中心は公家から武家へ移るが、鎌倉新仏教が生まれたこととも相まって、知識人としての僧侶が文化面で従来以上に重要な役割を果たした。加えて最も特徴的なことは、それまで表面に現れることがなかった民衆が、文化の担い手としての役割も果たすようになったのである。
中世の文化の二大特色は、鎌倉新仏教と室町文化であろう。鎌倉新仏教は日本人の意識構造に深く刷り込まれた。そして室町文化の代表である能、狂言、茶の湯、生け花、庭園、書院造などは日本的文化の中心に位置づけられる。
そうした意味で中世文化は日本文化の原型をなしているといわれるが、その核心である日本的なものの根底にあるものは、無常観だと私は思う。背景には当時の仏教の末法思想があり、政治や寺院などの腐敗と退廃があった。
無常観を言葉にしたのが、『方丈記』と『徒然草』である。前者は一切を捨てて数奇だけに生きる「すき」の世界、後者は荒涼索漠として荒んだ「すさび」の世界といわれる。そして「すさび」は、世阿弥によって様式(型)を与えられ「幽玄」となり、最終的には芭蕉によって日本文化の象徴「さび」に到達する。
読書会を楽しみにしている。