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「800字文学館」

モーツァルトの「教会ソナタ」を聴く

川口 ひろ子

 モーツァルトの262回目の誕生日となる2018年1月27日《知られざる「教会ソナタ」の楽しみ》と題するコンサートを聴いた。
 演奏されたのはモーツァルトの宗教曲で会場は紀尾井ホール、出演はこのホールの専属楽団である紀尾井室内管弦楽団の5人とオルガンの大塚直哉。

 モーツァルトが生まれ育った街ザルツブルクは北のヴァチカンとも言われる宗教国家の首都であった。古くから岩塩の交易で栄え、宮廷付属教会には優秀な音楽家が集まり才能を競い合っていた。モーツァルトは幼少の頃から名だたる先輩音楽家の伝統を踏襲しながら教会音楽家としての職務に励み、「孤児院ミサ」など多くの傑作を生みだしている。

 この日の演奏は彼が16歳から25歳の頃この地で作曲された14曲の「教会ソナタ」を中心に構成されていた。「教会ソナタ」とは、奏者は弦楽器とオルガン、時に管楽器などが参加する小編成の短い曲で、当時フルオーケストラに合唱も加わる華麗で長大な「ミサ曲」の代替えとして演奏された。
 単純にして明快な調べは魅力に溢れているが、今回のように14曲を通して聴くと、短い曲を繋ぎ合わせただけの単調さがはっきりと現れる。しかし日本のトップ・プレイヤーたちは、客席に構えるの気難しい聴衆を意識してか、一つひとつの音を細心の注意をもって追求し、渾身の演奏を聴かせてくれた。
 フィナーレだ。「やっと極度の緊張から解放されました」と言わんばかり、奏者は上気した顔に汗を滲ませて嬉しそうに「ブラーボー」に応えていた。こちらもほっと一息という感じだ。

 宗教行事の簡略化のためのマイナーな曲を現代に蘇らせ、それなりの名演奏とするべく必死の演奏家の意気ごみと熱意は充分に伝わってくる。しかし曲にはそれなりの用途と目的がある。誕生日を祝うための今回のコンサートは選曲に少し無理があったのではないかと思う。あまりにも生真面目、華やかさや愉しさに欠けた演奏に私は満足できなかった。

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