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「800字文学館」

人生は廻る

野瀬 隆平

 人の一生は、春夏秋冬になぞらえて捉えることができる。この四季それぞれに見合った「色」と組み合わせて、人生を四つの時期に分ける言葉もある。 青春、朱夏、白秋と玄冬だ。「玄」は黒のこと。今から2,300年ほど前の中国の五行思想に由来するもの。

 今日の日本人の寿命から言えば、それぞれ20歳、40歳、60歳、最後の玄冬は80歳がらみの年代と考えてよかろう。青春時代はまだ青く未熟で成長過程にある時期を示しており、情熱的に燃える人生の最盛期「赤」を過ぎて「白」となるのは、色気から脱却したことを象徴しているのだろうか。お終いの黒は、喪服ではないが何となく終焉に近づいたイメージとなる。
 この順番で人生は進むものと勝手に考えていたが、古代中国では必ずしもそのように考えてはいなかったらしい。始まりは玄冬で、青春、朱夏、白秋と進むというのだ。人間は生まれる前は暗い闇の中におり、生まれてきても幼少期はまだ先が見えない暗闇の中にいる。これすなわち玄冬期と考えたのである。そこから脱してこの世の中に生まれ、徐々に育って行くのが青春というのだ。
 年老いて玄冬期に入り、終わりに近づいたと暗く捉えるのではなく、次に生まれ変わるための準備期間に入ったのだと考えれば、この時期を前向きに捉え、先に希望をつなぐこともできる。

 いや待てよ、もしかしたら玄→青→朱→白→玄→青と輪のように繋がっているのかも知れない。あの世に行っても再びこの世に生まれ変わってくる。永遠に死から免れて良いようにも思える。
 しかし、お釈迦様が言うように、この世が苦しみの多い所であるならば、いつまでもこの輪から脱け出せないのは確かに悲惨である。
 仏教では、この輪廻転生から抜け出し、苦しみから解放されるのが「解脱」であり、悟りの境地であると説いている。

 人生を終える間際に、苦しみの多かったこの世からやっと別れられる、と思うのでは少々悲しい。満ち足りた気持ちでその時を迎えたい。

 注 五行思想なのに何故四色か。実はその中心に土気を表わす「黄」がある。

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