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「800字文学館」

桜は本当に美しい

藤原 道夫

 昨年の春桜の花が散る頃、本屋で『桜は本当に美しいのか』(水原紫苑)と題した新書版の本を見かけた。帯に「桜を人間の俗界に招き入れ、あえかなはなびらに、耐え得ぬほどの重荷を負わせたのは、私たちの罪ではないか」とある。違和感を覚えながら手に取り、目次を追う。万葉集から現代短歌、桜ソングを取りあげている。同様の本『桜の文学史』(小川和佑)は何度か読み返し、多くを学んだ。焼き直しの本は不要だ、と思って買わなかった。だが著者のいう罪が気になり、数日後には入手していた。
 著者によると、桜にあまり関心がなかったが、和歌の勉強をしながら年を重ねた今となり、美しいと思うようになった。罪とは、日本人の桜好きが一時軍部に取り込まれ、軍隊および国民の戦意高揚に利用されたこと。この点は小川氏も触れている。私はそんなことを引きずっていないし、著者の言う現代短歌や桜ソングにも関心がないので、本はぱらぱらとめくったのみ。

 ここで「桜は本当に美しいのか」、醍醐寺霊宝館のベニシダレを例にとって見直してみる。
 朝9時の開門と同時に入館すると、玄関横の樹齢凡そ200年のベニシダレが満開だ。枝が横に広がり、樹全体が上品な薄紅色の花で覆われている。穏やかな陽を受けている花を、少しずつ移動しては立ち止まって眺める。霊宝館の裏側にも背の高いベニシダレが何本かあるので、ゆっくり一回り、戻って来てまた眺める。館内に入り、国宝の仏像を横目で見ながらガラス張りの小部屋に向かう。椅子に腰掛け、しばしあの桜に眺め入る。
 よく知られている三宝院のシダレ桜と庭園を見た後に、境内で昼食をとって一休み。再び霊宝館に入れて貰う。少し傾きかけた陽射しを受けるベニシダレに眺め入る。また館内からガラス窓越しに眺める。この世のものとは思えない光景が目の前に広がる。

 思いがどうあれ、桜は桜、先ずはじっくり向き合うことが肝要。その時の条件もあろうが、桜は本当に美しい。

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