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「800字文学館」

京都原谷苑の紅しだれ桜

稲宮 健一

 原谷苑の紅しだれ桜は見事だった。見上げると薄ピンクの花が頭上を覆うように広がり、花の間から青い空が見え隠れし差し込む光が花の色を一層際立て、満開のさくらが広がる。紅しだれ桜は高く伸びた幹から、柳の枝に似たお下げ髪のようなしなやかな枝に花が垂れさがり風に揺れる。苑の小道に立つと前、左右、上とあわい紅しだれ桜に囲まれる。苑内の小道をそぞろ歩くと、どこでも、紅しだれ桜が追ってくるようで、一時間ほどの散策ができる広さの苑内で、ずっと紅しだれ桜に囲まれていた。染井吉野は一面を桜の花で覆い、その外のものを覆い隠す。それは丁度寒い冬から解放され、総てがピンク色の世界に塗り替わり、春をいやがおうでも感じさせ、開放感ゆえに酒宴を誘う。しだれ桜はもっと穏やかで、空の青を取り込んで柔らかい花びらの空間をかもしだす。

 原谷苑は洛北原谷にあり、戦後荒れ地を開拓して農地にした。花好きの村岩二代目が景色のよい丘を選び数百本の桜や紅葉を植えたのが始まりである。地下鉄烏丸線北大路からタクシーで十分ほどのところにあり、住宅地に囲まれた細い道を上ってたどり着いた。今は開拓地という面影はないが、帰りは林の中を曲がりくねって仁和寺まで歩いて行った。戦後は荒地だった様子が何となく分かる気がした。仁和寺の御室の桜はお庭に行儀よく植えられた白い御室桜で満開であった。外国人を含め大勢の見物人で埋まっていた。しかし、公園で見る花より野原で見る花の方が雰囲気が良い。

 一昨年福島の三春の滝桜を見に行った。滝桜は小高い丘の側面にあり、周囲を圧倒するように、千年の樹齢を誇る一本の太い幹から傘を広げたように多くの枝が広がり、天辺から滝が流れ落ちるようにしだれ桜が広がっていた。この桜は丘の下から、上から脇から離れめでるのが良い。丁度、地植えの一本の桜を遠くから眺める様であり、原谷苑は四方八方の紅しだれ桜の中に入っている風情であった。

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